静岡県内・県外の政治・経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2019年07月

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韓国の「ホワイト国」からの除外について9割が賛成。

 輸出管理の手続きを簡略化させるための「ホワイト国」から、韓国が除外されることに政府は意見の公募が行われ、凡そ3万件の意見があったという。
 処でこうした公募に寄せられる意見は精々、これまでは数十件程度という。
 如何に近年の韓国政府の対応に日本人が納得していないか、歴然とした証左でもあります。
 その3万件の意見のうち9割が韓国の除外に賛成したとのこと、これまた恐るべき結果でした。
 今後、「ホワイト国」からの除外のための政令改正をもって決めるが、8月中には除外の見込みだそうです。
 対して韓国側もこの撤回を求める意見書を出してきました。てきましその中で「制度的な枠組みは整えた」と主張していますが、もとより我が国は取り合いません。
 そんな今朝、また北朝鮮はミサイルを発射したという。将に韓国にとっては「四面楚歌」であり「門前の狼、後門の虎」を呈しています。

2019/07/31

矢張り情けない二階幹事長の感覚。

 参院選挙は終わった。しかしこの度の選挙結果はどの政党・会派にも幾分かの「欲求不満」を残す結果となりました。
 そんな中、テレビ東京の開票特番「池上彰の参院選ライブ」の中で、自民党の二階俊博幹事長との間で、悲しくも激しい論争が繰り広げられたようです。
 それは先月の末、徳島市内で行われた会合で、二階氏が「選挙を一生懸命頑張ったところに予算をつけるのは当たり前」と発言、野党から厳しい批判を浴びましたが、このことを指し、池上氏は「それは利益誘導型の政治手法ではないか」と詰問、対して二階氏は「私はが会長を務める団体に奮起を促すのは当然のこと、一生懸命頑張っていただいた人たちにそれなりの対応をするのは当たり前のことじゃないですか」と反論、更に池上氏が「ほーッ」とため息を漏らすと二階氏は「ほーて何ですか」と不快感を表したという。
 更に池上氏が「予算を餌にしているのでは」と畳みかけると、二階氏は「そんなゲスなことを云っているわけじゃない」と切れたという。
 この論争で明らかなことは残念ながら「天下の自民党の幹事長たるものの言葉とどうしても思えないところです。
 二階幹事長は私と同じ中央大学辞達学会の2年先輩であれば、率直に言って、些か残念に思った次第です。

2019/07/22

対韓輸出規制について。

 正直言って、この度の我が国の「対韓輸出規制の強化」について、口角泡を飛ばして反対する文在寅大統領の我田引水は残念ながら実ることはないでしょう。
 この度、日本政府が「半導体の製造に使われる化学製品」の輸出について「規制強化」したことに韓国側は猛反発、文大統領は「そのことは日本経済にとって大きな被害が及ぶことになる」と叫んでいますが、正直云ってこうした日本からの化学製品が屡々、お隣の「ミサイル製造」に利用されているのではないかと国際間では共通した「噂」でした。
 文大統領はご案内のように「内治」については完全に「死に体」、唯一、北朝鮮との「和解と親交」だけが「存在意義」であれば、北朝鮮への協力は最後の仕事なのかもしれません。

2019/07/17

ハンセン病の被害者家族への補償に対する「決断」は良かった。

 熊本地裁判決をもって「ハンセン病家族訴訟」はピリオドを打つ処となりましたが、政府のこの決断に私は心から拍手を送りたい。
 確かに時代の考察や法律上の問題点はありますが、これ以上、長引かせることは日本国として芳しいことではありません。
 総理の言葉の中にもありましたが、患者ご家族に対する偏見、差別はこれまで途轍もない苦しみを生んだことでしょう。
 この上は総理の声明の通り、一日も早くご家族と直接面会し、そのお気持ちを伝えてほしいと考えます。

2019/07/13

前日に続きます。

 昨日までの作文では徒に長くなりますので、これからは簡略して記載致します。
 さて、この季節、誰もが暑さしのぎにアイスクリームを口にするでしょう。そのアイスクリームを日本に伝えた男こそこの出島松造です。
 さて、米国に到着した松造は言葉も通ぜず、ひたすらご主人の後についてサンフランシスコの街を歩けば、体の小さな、しかも穢い着物を着、頭には棒切れのような物を乗せたその風変わりな姿に、人々はぞろぞろと付いて来る始末でした。
 その松造もアメリカ大陸に上陸して2年になれば、洋服に着替え、ちょんまげを切り落とし愈々、米国人になっていきました。
 小学校に通い、成績は先生から褒められましたが、松造は18才、12・3歳の小学生とは当たり前だったでしょうが、その後も松造は与えられた仕事に手を抜くことなく働いたとのことでした。
 渡米以来、9年を迎えた明治元年、徳川幕府の大政奉還、同時に渡航禁止令も解かれ、晴れて帰国する処となったのでした。
 背広に大きなリボンネクタイ、革靴に中折帽子、ったのでした日本人には見慣れぬそのスタイルに自分自身も気恥ずかしかったが、それ以上に横浜の変化に驚いたのでした。
 明治3年、伊藤博文が貨幣制度視察のため渡米するに際し、通訳として随行する等、その後の彼の活躍は「維新の開花」に大きく貢献していきました。
 大正12年の関東大震災に遭遇した彼は不幸にも唯一の後継者を失い、昭和3年、85年の長い人生にピリオドを打ったのでした。
 以上、小鹿出身の「出島松造」をご紹介しました。
 

2019/07/11

前日に続く・・・。

 凡そ半年、ソーヨさんの家に奉公、この間に「英会話」を学んだ出島にチャンスが訪れた。
 ソーヨ氏の帰国である。ソーヨ氏は帆船の船長に彼の密航を頼んだが、承諾せず、結果、一等航海士に金を握らせ、首尾よく倉庫に潜り込んだのでした。勿論、遠からず発見されたものの、既に出帆して3・4日過ぎていれば、今更引き返すもできず、一行はそのまま、サンフランシスコ港に向かったのでした。
 文久元年(1861)1月13日、桑港に到着、こうしてソーヨさんの親切と情けで密航は成功したのでした。 その結果、出島松蔵は維新を契機とした「日本の大回転」に多大な貢献を残していくのでした。
 慶応3年、福沢諭吉・小野友五郎の諸氏が渡米した際、諭吉から日本の現状を知らされ、英語を話せる人が欲しいから一緒に帰国せよと懇願されたが、「渡航禁止令」は解かれておらず、ソーヨ氏初め近隣の人たちも反対もあって、そのまま留まることを決めました。
 閑話休題(それはさておき)、この時、福沢諭吉は帰国後、静岡の両親に「松蔵の無事」をしらせたとのことでした。
 そこから彼の大活躍が始まりますが、以下は次回に・・・。

2019/07/10

調べる材料が、突然降って湧いてきました。

 今年の「全米さくらの女王歓迎レセプション」の参加した埼玉県の佐居康雄さんから「出島松造の伝記」を掲載した文章が送られてきました。
 天保13年、有度郡小鹿村に出島甚太郎の3男に生まれた「出島松造」は16歳の折、両親に無断で横浜に出奔したのでした。
 時恰も、万延元年1月には勝海舟らが日米修好条約締結のために、臨海丸で出航した年でしたが、その2月、4朱の金を懐に、わらじ履きで箱根を超えて、夢に画いていた横浜に到着、その後、人の好意に助けられ、雑貨商「和田半」に就職、そこで米国人ソーヨと知り合い、言葉はチンプンカンプン乍らも、心安くしてもらってして、出入りしていました。
 間もなく、主人ソーヨが帰国することになり、出島はソーヨにアメリカに連れて行ってほしいと懇願、対してソーヨが云うには「日本は渡航禁止令で密航者は斬首の刑」と脅したのでした。
 しかし、彼は「2度と日本の土地を踏みません、アメリカ人になります」と死を覚悟の決意を披歴し、懇願したのでした。暫くしてソーヨから「和田半を辞して私の家に来なさい」の言葉に喜んで、その7月からソーヨさん宅に奉公したのでした。明日に続く・・・。

2019/07/09

生憎(あいにく)の豪雨、参院選の公示日。

 台風の通過によって、各候補の選挙事務所開きも恐らく❝てんやわんや”していることでしょう。 このように傍観者としてどこの事務所にも顔を出さない立場は久しい処です。
 さて、暫く前には現職の牧野氏と榛葉氏の独壇場かと考えていましたが、その後、将軍徳川家の血を引く「家広」氏が遅まきながらと出馬を決意、ここにきて静岡選挙区は一挙に混迷するところとなりました。
 これによって、現職のお二人も一気に炎上するところとなりました。
 「ここは自民の牙城」2回の選挙も余裕でしたが、ここは褌の締め直しで頑張ってください。
 榛葉さん、参院議員として頑張ってきたことは認めても選挙は選挙です。
 静岡人には「徳川」の名に傷つけられないところですが、れない昨年の北海道は何だったのでしょう、そこが気になるところです。
 いづれにせよ、3者、それぞれ魅力ある候補者であれば、今日から精一杯頑張ってください。
 私は学生時代に入党した自民党から今更「さよなら」することは考えてはおりません。
 地方自治と国政は私にとっては大違い、これからも遠慮なく申し上げていきます。

2019/07/04

熱海国際映画祭は失敗に。

 第2回熱海国際映画祭は主催者の思惑、完全にはずれ、惨憺たる結果をもたらした。
 主催者側の発表では入場者は550人、処がチケット購入者は121人、さらには一部の上映した作品に字幕もなかったなど機器の故障など、現場では相当の混乱を見たようです。 
 実は嘗て、静岡市がカンヌと都市提携した折、誰が言うともなく、「国際映画祭を本市でも」との声が上がったのでした。しかし、私は既に国内に「国際映画祭」と銘打った都市が何と多いかを知っておりましたので、市の行政としては勿論、民間の要望にも耳を傾けませんでした。
 勿論、「カンヌ」と云えば「国際映画祭」との代表的」と都市、その「カンヌ市」と唯一提携した街であれば、静岡市が「国際映画祭」を実行しても恥ずかしくはありませんが北海道の消え入るそうな小さな町から九州の小さな温泉地にも「国際映画祭」と銘打ったイベントに愕然とし、カンムリの付く行事は遠慮したのでした。
 民間事業所が毎年、「国際映画祭」のカンムリをつけて実施していますが、熱海同様、集客には繋がりません。
 それにしても、本年度の熱海国際映画祭は残念でした。

2019/07/03

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