静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2018年12月

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今日が最後か、お付き合いありがとう。

 年末になって、慌ただしい課題に翻弄されてきましたが、早いもので、今年も明日を残すのみになりました。今更に反省するゆとりなど欠片(かけら)もありませんが、全ては自己責任と考え、この1年を過ごしてきました。
 間もなく「喜寿」を迎える年寄りではありますが、また来年は来年、為すべき仕事は続くでしょう。
 私に与えられた仕事があがあれば、目的達成のために精一杯、そうです「慈悲尾」に辿りつくまで、頑張って参ります。註・慈悲尾とは静岡市の火葬場のある場所。
 この一年間、ご拝読下さった皆様に改めて心から感謝申し上げます。有難うございました。

2018/12/30

失礼しました。23日以来のコラム、扱い不備で掲載に失敗。

 何故、折角丁寧な日記を記載したものの、愈々、「更新」の段階で消えて行ってしまう失敗を何度も繰り返し、己の未熟さにほとほと嫌になります。
 一昨日、昨日と秋篠宮殿下の主張について自身の考えを併記しながら、これに反論して来ましたが、パソコンの操作ミスから認(したた)めた原稿は雲散霧消してしまいました。
 お許しください。
 

2018/12/27

静清バイパス4車線化が完了

昨日、「静清バイパスの4車線化」が完成、その完成式典が行われました。
 思えば平成9年に「2車線」道路として市民にお目見えして以来、実に21年の歳月を要したことになります。
 正直云って、バイパス事業は国の仕事で、市にはただ「陳情」あるのみの行政手法がまかり通っていました。そのためか、これまでのバイパス事業に対する市民の行政批判は殆ど無く、ただ建設省「様様」の計らいを待つだけの態度に終始し、その結果、市の当局は無責任極まりない姿勢に終始してきたのです。
 恐らく昭和50年代に着手し、今ようやく完成を見きたバイパス事業は全国的にも極めて稀な事例でしょう。
 勿論、事に対峙し、慌てない市民性は大事でしょうが、行政については別問題と私は思います。

2018/12/23

「候補者はだれ?」と尋ねられても・・・。

 勿論、本市の至る処で、この町の「行政と未来」に憂いを覚え、何とかしたいと呻吟する仲間達が相集い、今、そのための準備は抜かりなく進められている処です。
 しかし、現状では、法的にも発表を控えます、それ故、き今日の集まりも「水面下での準備作業」のため、このページを読まれた貴方にも、「披露」することはできませんが、 凡そ一か月後にはその全貌が新聞、テレビで紹介されるでしょうから、ご理解をお願いします。
 勿論、すでに、物心両面からこの目的に全面協力頂いている企業や仲間は想定外に沢山おられます。将に「明日の静岡」に大きな不安を抱えている市民が多いことを証明するものでしょう。
 しかし、間もなく、その全貌があなたのお耳に達することでしょうからその折には是非とも率先したご協力をお待ちいたします。

2018/12/22

ゴーン容疑者の拘留を認めず、だと。

 東京地検が扱う事件で拘留延長が認められないとは極めて異例だそうです。この調子だと保釈請求も認められる雰囲気です7が、我が国司法界は如何ですか。「異例の決定」などの言葉で濁すことは決して「賢明」ではありません。
 産経新聞にも「外圧に屈した?」の言葉が「かっこ書き」に掲載されております。
 まさか、「除夜の鐘」を自宅で聞きたいとのゴーンさんの願いに応えた結果ではないでしょうね。今朝は極めて短く・・・。

2018/12/21

流石、掛川「道の駅」。

昨日、仲間と共に掛川バイパス沿いに付設された「道の駅」を訪問して来ました。
 事前に現場での説明を依頼しておきましたので、若い岩下専務が私たちの質問に一生懸命応えて頂き、有難かった。
 しかし、何と云っても「生産者の立場」、「お客の心」、、そして「経営手法」についても、本当に「心の通った」温かな姿勢であり、彼もまた見事な説明でした。
 お陰で、子供の頃の駄菓子など仕入れ、大きな荷物となって帰宅しましたが、率直に言って専務の言葉や職員の動き、そして何より「笑顔・笑顔」の連続でした。
 掛川の農家にとって誠に、有難い「道の駅」、そして溢れるお客の笑顔は、他地域に見られない素晴らしい「道の駅」でした。

2018/12/19

市民会館の「アリーナ」白紙に。

 市民文化会館の老朽化に伴い、久しく検討されたきた「アリーナ」構想は結局、元の木阿弥になってしまいました。
 今朝の静岡新聞には「静岡市民会館、アリーナ白紙」と有識者検討委員会の結論が記載されております。
 これによって、市長が強い意欲をもってアリーナ化を目指した市民文化会館の再整備方針は根本から見直しされるところとなったのであります。
 もとより、静岡市議会にあっては、「埼玉アリーナ」を念頭とする構想は夢のまた夢、更には国鉄清算事業団から買収した広範の用地も、無策にも民間企業に売却され、結果、残った土地は狭隘にして「アリーナ」など考えようもない残地となってしまいました。
 しかし、これもまた「市行政の選択」であれば仕方ない処でしょう。 
 思えば6・7年前、市主催の「県議の意見を聞く会」の席上、私は草薙の「ポーラ化粧品」用地の買収を提案したところ、即刻市長はこれを拒否、その理由は「金がない」、そこで「だったらふるさと納税を実施してはしかし、如何」と云えば「ふるさと納税は私は嫌いです」、その時の「会話」が今なお私の脳裡に鮮明に残っております。
 敢えて言うなら、この時の提案を実行していれば、「アリーナ用地」も含めて十分考えられた事だろうと思い、残念でした。

2018/12/18

これも裁判員裁判の現れか?

 昨日、漸く「東名での煽り運転の裁判」が決着しました。
 「求刑23年に対し18年」の判決は、人それぞれの判断でしょうが、そこには明らかな「裁判員裁判」の本質が現れていたように思えます。
 私個人として考えた場合、やはり20年以上を推測しておりました。
 それにしても26歳にして人生にピリオドを打つことになった石橋被告は哀れな人間であり、社会には全くもって不要な人間と言わざるを得ません。
 仮に「人民裁判」などという時代であれば即刻「死刑」でしょう。
 この度の裁判員の皆さんの心に流れる「やさしさ」が20年を切らせたのでしょう。
 でも、裁判員裁判は大変なお仕事で、役所から来る「一片の通知」によって、負わせられる責任は大変なもの、今一度その功罪について考えては如何でしょう。
 本当にご苦労様でした。

2018/12/15

今日、辺野古に土砂投入。

 難しい政治の世界はさておき、日本でありながら日本人を名乗れなかった昭和30年代の沖縄の人々の思い、それは極めて純粋に「日本への復帰」でした。
 「蛍雪時代(旺文社)」に寄稿した一首里高校生の純粋な日本復帰を訴えたその論文に、初めて「日本国民ながら日本人を名乗れない」人々がいることを知りました。
 彼の訴えは小さな叫びだったでしょうが、「沖縄返還」の小さな叫びとして私の脳裡に鮮明に残っているのでした。殊に「基地付きであっても・・・」との言葉は図らずも今日の絶対的政治課題となっているのです。
 今日、「辺野古、きょう土砂投入」の新聞見出しを見るにつけ、沖縄県知事の建前反対には誠に残念です。密度の高い宜野湾市の普天間飛行場から辺野古への移設を何故反対するのか、論理的にも理解できません。
 「惨憺たる大戦の歴史」を容易には払拭できないのは理解できますが、今日の東南アジア情勢から顧みても、沖縄の存在意義は払拭されることはないでしょう。それ故に政府は特段の思いを以てこれまでも「援助」を続けて来たのです。
 本日は「時間」が来ましたのでこれにて・・・。

  

2018/12/14

何十年振りになるでしょう、「芥川龍之介」の「手巾」を読む。

 中学時代か、高校生の授業の中で読んだか、既に忘却の彼方に薄れていたが、ひと月程前、何かの拍子で「芥川龍之介」の短編小説「手巾(ハンカチ)」を思い出し、若き少年の心に響いた作品を今一度読んでみたいの衝動にかられたのでした。
 早速、議会図書室に相談すれば、県立図書館にはあるでしょうから2・3日待ってくれれば取り寄せますとの優しい言葉、お陰で、昨日私の手元に分厚い「芥川龍之介全集(1)」が届けられました。
 「手巾」は将に「短編」、「あくび」する間もなく読破してしまいました。同時に読みながらも「こんなに短かったのか」とその昔を懐かしみつつ、ひと時を楽しんだのでした。
 ご存知の方も多かろうとは思いますが、「学徒動員」によって戦地で散った学生の母親が世話になった先生への「報告とお礼」に伺ったところ、母親は毅然として涙も見せず、ただ教師への感謝の言葉を続けていたのでした。
 その時、先生は持参していた紙袋を足下(あしもと)に落とし、それを何気なく拾おうとして屈んだその時、涙も見せなかった母親の手の中には「ぐっしょりと濡た手巾」が丸められていたのでした。
 芥川龍之介はそこに日本の母親像を発見し、描いたのであります。
 短編ながら素晴らしい小説でした。

2018/12/13

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