静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2018年08月

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いい加減ではないのか「静岡の歴史」。

 近く関心ある方々が集まり、静岡市井川から本川根に続く「幻の古代遺跡」に調査の手を入れるべくスタート致します。
 ご案内のように、井川は戦後の急成長期の電力需要に応えるために、中部電力が大井川にダム建設に着手いたしました。
 その頃の井川は始め今では考えられない程の賑わいを見せ、例えば「パチンコ屋」も2軒、村中には赤ちょうちんなど翻り、大変な賑いを見せていました。
 ましたその一方、井川には「古代遺跡」の存在は戦前から知られておりましたが、「ダム建設」に当っては、「遺跡」は極めて大雑把に扱われ、その結果、「割田原遺跡」の多くの部分は湖の底に沈んだのであります。
 そして「割田原遺跡の研究」もその後本格的な調査もなく今日に至っております。
 昨年、地元の方々が中心となって、「割田原遺跡展」が開催されました。
 これを切っ掛けに、関係する地域から本格調査を望む声が湧いてきました。
 即ち「リニア新幹線」工事が進んでからでは遅すぎるということから割田原遺跡をはじめとする紀元前4~5世紀の奥大井の歴史に手を入れようと考えたのでした。
 関心ある方のご連絡をお待ちします。
  

2018/08/31

「続・ちびまる子ちゃん」を悼む。

 昨日に続いて「さくらももこ」さんのご逝去を悼みます。
 「静岡のおばーちゃんのうちへ行ってくる」
 このちびまる子ちゃんの言葉は屡々、漫画の中に登場して来ました。勿論、私の場合、ファンとはいえませんでしたが、折に見るテレビから「ちびまる子」ちゃんに共感しておりました。
 若し「静清合併」がなかったら「旧清水市」にとっては「次郎長」以上にその存在感を際立せていた事でしょう。
 或いは取り上げ方に寄るでしょうが、境港市の「ゲゲゲの鬼太郎」を倣っても面白いと感じていました。いずれにせよ、例のマンホールのふたに書かれた「まる子ちゃん」を市中で見られれば「さくらももこ」さんへの追悼の碑となると思います。

2018/08/29

「さくらももこ」さんの早世を悼む。

 今朝の新聞・テレビで「さくらももこ」さんの訃報を知りました。
 初めて漫画でデビューしたちびまる子ちゃんは清水をこよなく愛する少女でした。そして同時に清水を一生懸命自慢し、誇っていました。
 それは作者「さくらももこ」さんの素直な心だったでしょう。何より作者は清水という街を愛し、誇っていました。
 思えば市長時代にテレビで「ちびまる子ちゃん」がデビュー、清水市民の自慢のキャラクターでした。
 その「さくらももこさん」が僅か53才で逝去するとはまことに残念、唯々ご冥福を祈ります。

2018/08/28

愈々、総裁選間近となる。

 「あと3年、自民党総裁として、かじ取りを担う決意だ」
 昨日、安倍総理は来月の総裁選挙に出馬することを正式表明しました。全く驚くに当らない決意表明ですが、どうも自民党支持者でない方には気分のよろしいことではないようです。
 思えば平成24年の総裁選挙に出馬する際の総理の心情と今日とは大きく異なり、これまでの歳月が自信を生み、堂々の表明となりました。
 平成24年の総裁選の折には過去の屈辱が払拭せず、逡巡していましたが、それ以来は自身に満ちた総理としてのお姿を見せていただきました。
 後一期、更なるバイタリティーをもってご活躍ください。

2018/08/27

甘くなかった 野田聖子総務相の野望

 間もなく不出馬となるでしょうが、前回も総裁選の周辺をウロチョロしていた「野田聖子代議士」は厳しい現実を前に、近く諦めることになるでしょう。
 思えば「建設大臣」など履歴した戦後政治家「野田卯一」の孫と云う華やかな「血統」を引き継いでの政界進出でしたが、面白いパーソナリティの割には仲間に愛されず、雁首持ち上げて総裁に色気、しかし、所詮は「万年候補」のレッテルのまま消えていくのでしょうか。
 間もなく還暦を迎える野田さんには「優しさ」のイメージが必要です。
 嘗ては党の中核として鳴らした小沢一郎氏も、近く沖縄知事選に玉城氏が出馬すれば自由党の唯一の代議士になってしまいます。
 古来、「前車の覆るは後車の戒めなり」の諺があります、どうぞ「御身大切」に・・・。

2018/08/25

「チキンラーメン」発売60年とのこと。

 今朝の静岡新聞に懐かしいチキンラーメンの包装の写真が掲載、タイトルに「発売60年』」とありました。
 成程、初めて口にしたのは高校時代、チキンラーメンの35円は決して安いものではありませんでしたが、大学時代の学生食として本当に食べられたものでした。
 市議になって初めて東南アジアを旅した時、極く普通に現地の方々が食べているのを見て、驚いたことを思い出します。この頃から世界戦略は展開していたのですね。
 私たちの学生時代を象徴する「チキンらーめん」ですので、懐かしくコラムに取り上げました。
 

2018/08/24

昨日の「割田原遺跡」の説明

 恐らく、70万の人口を擁するこの町でも「割田原遺跡」をご存知の方は極めて僅かだろうと考えます。
 本市では終戦と同時に発掘された「登呂遺跡」が戦後の「曙」として脚光を浴び、その結果、教科書の巻頭を飾る程に「著名な弥生式文化」の代表的遺跡として人々の賑わいを見たのでした。
 処がその後、全国各地で「弥生式遺跡」は発見され、例えば青森の「三内丸山遺跡」などが「登呂遺跡」にとって代わり,必然的に登呂遺跡は歴史の教科書から消えていきました。
 処で、若い時代から「登呂」の地名に疑問を抱いてきた私は情報を得て、県立図書館にでかけ、明治37年に発刊した「アイヌ語辞書」から、「TO・ORO」即ち「沼地」を意味する言葉と理解したのでした。
 それ故、「北海道」の「釧網(せんもう)本線」の一画にある「標茶町塘路(とろ)」もこの登呂と同じ「沼地」を意味するアイヌ語だろうと考えます。
 アイヌ語については長くなるから本日は止めにしますが、「塘路」の発見は誠に嬉しい限りです。

2018/08/23

夏休みの自由研究として、井川の「割田原遺跡」を取り上げました。

 私のアイヌ語調べは遥か以前から、凡そ20年ほど前、アイヌ語で「火」は「フチ」と発音することを知った時、その昔、噴火を続ける恐ろしき山を「フチ」と呼んだだろうと勝手に考え、爾来、アイヌ語について独り勉強してきました。
 「登呂遺跡」の「トロ」は「とおろ」即ち沼地を意味するなど、極めて一人合点ながら、「アイヌ語」からの出典と思わせる地名は市内に少なくありません。
 その代表的地名が「駿河」でしょう。駿河はアイヌ語の「スルグ」即ち「トリカブト」を意味し、縄文時代の人々にとって、欠くことの出来ない日常の必需品でした。その猛毒のトリカブトは現在も井川地区に美しく咲いています。恐らく、地域の特産品としてその猛毒は交易に使われていたと考えます。「スルグ」を産する場所として、後に「駿河」の地名となっていったのでしょう。因みに北海道の釧網本線の中の小さな駅の名前が「塘路」と知り驚いたところです。
 勿論、静岡市内の地名にはこのほか、多くのアイヌ語出自と思われる地名があります。
 そうです、「割田原遺跡」の研究は今しかありません。

 

2018/08/22

何を考えているのか、石破茂元幹事長。

 安倍総理の現行9条を維持したまま、自衛隊を明記する憲法改正案に対し石破氏は「緊急性があると云えない」と述べ、「総裁選」で憲法改正の在り方を争点にするつもりのようです。
 3月の党大会では自衛隊を明記することを含む「改憲4項目」が既に了承されているにも拘らず「今の案はたたき台だ」主張、残念ながらこの主張も「総裁選の負け犬」の遠吠に見えるのであります。
 恐縮ながら正直云えば石破氏の人相や喋りの口調からも「総理を伺う政治家」にはとても思えないのであります。
 友党「公明党」も言葉では「静かに見守る」とありますが、ばかばかしくてこんな党内闘争に意見を言うこと辞退しての言葉でしょう。

2018/08/20

甘くなかった415㌔の走破。

 応援団としては、昨日も早朝から「安倍奥まで選手の出迎え」に車を走らせ、また街路での応援風景を各所で見てきました。
 当然のことながら、望月君の健闘ぶりを一目見ようと沿道では沢山の方々がポスターや「陣」を張って彼の通過を首を長くして待っていました。
 ところが、この戦いに彼は目一杯の荷物を背負って挑戦したその目論見はその大きな誤算、想定以上の負担となって響いたのでした。
 勿論、静岡市民の5連覇への期待はスタート直後から背負った過重な荷物が足腰に禍したとのこでした。その結果、第6位でのゴールとなってしまいました。
 勿論、超人的体力と精神力の持ち主の望月君ではありますが、ちょっと無理な試みではありました。しかし、本当にありがとう。これからのご健勝を祈ります。

2018/08/19

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