静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2018年06月

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久し振りに「河野洋平」氏の名前が新聞に。

 今日も暑い日になりそうです。くれぐれも日射病にはお気を付けください。
 今朝の産経新聞の5面に「河野洋平元衆院議長」の談話が囲み記事として掲載されていましたが、悲しいかな相変わらずの「凡庸」さから脱しきれずにご活躍のようです。
 曰く「植民地問題の処理もできていない国に、ただ拉致被害者を帰せ、帰せと言っても問題は解決しない。国と国との関係を正して返してもらう手順を踏まざるを得ない」と云い、拉致問題の解決の前に北朝鮮との国交正常化を優先すべきとの高邁な提言を示したとあります。
 その中で「南北分断の遠因には日本の植民地政策があったと」とつき加え、「日本、韓国、北朝鮮が非核地域を作り、これを宣言、核攻撃をしない条約を結べばいい」と締めくくったという。
 なるほどどこまでも「ノー天気」、その病、まさに「膏肓(こうこう)に入る」の類です。
 お幸せに!

2018/06/14

「IR」法案も愈々採決の俎上に。

 思えば本当に長い間私は「カジノ認可の時」について待たされました。
 時あたかも、トランプ・正恩両氏の会談がシンガポールのセントーサ島で開かれましたが、この会場となったカペラホテルは数年前、リー・クアンユー首相がカジノ付きリゾートを提案、これに「ゲンティン香港」が応えて作られたものであります。
 クアンユー首相の決断なければ、シンガポールでの「米朝会談」はなかったでしょう。
 このことを考えても日本の野党はただ「カジノは悪」の前提に拘り続け、この度も毎度の馬鹿馬鹿しい戦術をもって遅らそうするのである。
 まず「内閣委員長解任案」を上程します、姑息で小児的発想の議事の進行をつづけるのでした。将に「ガキ」のお遊びと云っていいでしょう。
 長い間、哲学として「カジノ開設」に反対してきたりー・クアンユー首相が、凡そ10年前、本市より狭いシンガポールに2か所のカジノ開設は何を意味するのか今一度、脚下照顧してみて下さい。

2018/06/13

今日、米朝会談が開催される、鬼が出るか、蛇がでるか。

 何を以て世界が注視する会談でしょう?
 単におだっくいの「トランプ」のスタンドプレー、そして極限までの「世界への恫喝」を展開しながら種の尽きた北朝鮮の最後のマジックショウが愈々、今日、「ゲンティン香港」が建設したセントーサのカぺラ・ホテルで開催される。
 将に「鬼と出るか、蛇がでるか」の一番でありますが、所詮世界の変転に貢献するものとは思えない処です。
 さて、袴田事件も昨日、「再審認めず」の判断が出され終局を迎えました。率直に言えば東京高裁に「再審」を否定する勇気があるとは考えておりませんでしたから、昨日を以て「袴田さんは天下晴れての日々」を迎えるだろうと考えておりましたので本当に驚きました。
 上川陽子代議士、ご心労でしょうが、更に法務大臣として頑張ってください。

2018/06/12

米朝の会談があの「セントーサ」とは驚きでした。

 12日に予定される「米朝会談」がシンガポールのセントーサ島のホテルとは驚きでした。
 これまでも「IR」についてした、このコラムで何回か掲載してきましたが、あの「セントーサ」が舞台になろうとは思いもしませんでした。
 実は清水港の豪華クルーズの企画の源泉は「本県とゲンティン香港」の握手に始まったものですが、そのゲンティンが建設した「IR」が会談舞台になるとは驚きでした。
 本県と本市はこれから箆棒に「ゲンティン香港」にお世話になるのです。
 その「ゲンティン香港」がシンガポールの要請に応えて「5,000億円」もの投資をして、政府の要望に応えて作ったのが、ユニバサルスタジオ始めとする「セントーサのIR」なのです。
 実は私が今、期待し声高に「IR」事業の推進を叫ぶ魂胆は将にここにあります。
 勿論、海運事業だけでなく本業の「カジノ」を取り入れる将来目標は、ありありです。
 清水港を媒体に近い将来、日本はもとより世界中から「人の集まる街」が構築されるものと考えます。勿論、私たちが「三途の川」を渡り、幽冥堺を異にした時代の開花になるでしょう。
 そうであれ、今が最後のチャンス、衰退する前に挑戦する意識を、この軟な市民に贈っておきたいと頑張っております。
 、ご案内のように静岡競輪も結局、本市の発展には全く寄与しませんでした。
 一つ、東海を代表する「静岡市」を目指して挑戦してください。

2018/06/10

「被告手記の書籍化に抗議」を読んで。

 昨日の夕刊に、2016年、知的障碍者施設「津久井やまゆり園」で職員19人を殺害、26人が重軽傷を負ったあの悲惨な事件について、犯人・植松某の手記を纏めた書籍の出版を非難する立場で、嘗て被告に接見した県立短大の佐々木隆志教授が「出版阻止」がに立ち上がりその運動そのの模様が掲載されておりました。
 もとより私も「書籍化には反対」、以前神戸の連続児童殺傷事件の犯人が「元少年A」の筆名で「絶歌」の書名で出版、今では「膨大な印税」」を懐に優雅に暮らしている例もあり、私もまた事件の書籍化には真っ向反対であります。
 少年 Aの「絶歌」がベストセラー化し、印税のお陰でゴージャスな生活を見せておりましたので、恐らく「柳の泥鰌」を考えての今回の思い付きだと考えますが・・・。
 可能ならこの運動を更に広め、出版社に「社会正義」について考え直して頂きましょう。

2018/06/09

何なの、南海トラフ地震の長期推計。

 南海トラフ地震が発生すると東海や近畿の太平洋岸と四国全域で凡そ4割の総生産を失うと今朝の新聞のトップにあります。
 問題はこの記事が「土木学会」の推定であることのに注意してください。
 正直言って、新聞がここまで大きく取り上げるニュースではないと考えます。地震学会の推測も極めて当てずっぽう、東北の大震災においても、幼い頃から教えられた「リアス式海岸」については全く論ぜず、「駿河湾沖地震」については、県民を恫喝し、県政・市政を翻弄させただけで、20年後には主張した学者は間違いに気付き訂正したという。
 処が行政は指摘された時から右往左往、翻弄され続け、この間に静岡県は2兆円もの予算を「地震防災対策」に費やしたのでした。お陰で今でも1日に5億円もの借金を払い続けています。
 何故かその発表が「土木学会」と聞くと業界の心なのかと考えてしまいます。
 メタら多忙な中、ヒガミにも似た頭の回転かもしれませんが・・・。

2018/06/08

桜の女王、大喜びで帰りました。

 正直言って、機会の少ない「女王」の来静ということでこれに関わった多くの仲間や友人にご無理をいって、経済的にも応援を戴きました。
 一方、宿泊した日本平ホテルでは目一杯のサービスを、元気学園ではバスをはじめ人的にもご手配していただき、浮月楼では温かいサービスなど、勿論、参加してくれたお仲間には「特別寄付」を頂き今、何とか「収支」が整いました。
 それにしても疲れました。
 先程、そ自宅でマッサージして頂きましたが、初めから終わりまで眠り続けて、マッサージをしてくれたた方には失礼しました。
 

2018/06/07

今日、全米「さくらの女王」の来日。

 昨年の暮、ワシントンに住む知人から「ポトマックの桜物語」と云うタイトルの本が送られてきました。
 年末で時間の余裕もあり、更に数年前にはポトマック湖畔に植えられた桜並木を見ておりましたので、その歴史を知ることもいいだろうと気軽に読み始めたのでした。
 処が何と私も知らなかったことでしたが、今、ポトマック湖畔の桜の始祖は明治時代に本市の興津で栽培された6000余の「幼木」の孫やひ孫であることを知り、これは「捨てて置かれない」の心境で、例えばこのコラムにも記載、更に調べてみれば本市との関わりも少なからず、「ポトマックの桜」は「静岡育ち」ということで以来、これに関心のある人々が集まり、準備し今日、「本年度の全米桜の女王」をお迎えすることになったのでした。
 既に東京では安倍総理をはじめ内閣の代表らと面談、また伊勢では最初にアメリカに桜を送られた当時の東京市長「尾崎咢堂」の生家がある伊勢にご挨拶、以上は決まった公式行事でその帰り道、急遽、本市にたち寄ることになったのでした。
 今日は桜の神「浅間神社」をお参りし、その後、知事、市長に挨拶、後に「浮月楼」では歓迎レセプションとなり、明日は日本平から興津の試験場を訪ねます。
 「ポトマックの桜は静岡育ち」を知ってもらうために、今回も多くの仲間の労力と経済的負担を戴きました。

2018/06/05

只今帰りました。深見家の葬儀。

 多くの友人、知人が本葬儀にお出かけいただき、お陰で、立派な葬儀が営むことができました。
 凡そ20年、私の事務所の所長として経理はもとよりは「事務所のドン」として頑張ってくれた掛け替えのない友人でした。昭和17年2月2日が私、4日が深見さんの誕生日、東中学では同窓となり、その後、子供たちの縁で愈々、深いつながりが生まれ今日に至りました。
 本当に掛替えなき友人であり、第一の支援者でもありました。
 それにしても彼の人柄でしょう、多くの仲間、知人のご出席を頂き、私としても本当にありがたかった。今はただ、ご冥福を祈るのみであります。

2018/06/04

盟友・深見和博さん、巣立する。

 早朝、自室の電話がけたたましく鳴り、瞬間「深見家の訃報では?」と連鎖的に寝ぼけ頭に訃報が浮かびました。
 昨日、彼が緊急に総合病院に入院したことは奥様から聞いていましたので、布団を撥ね退け総合病院に出向いたのでした。
 思えば彼とは東中学で同期が縁で爾来大変な面倒をかけるところとなりました。
 後援会事務所の顔として私を支え、その人柄は多くの仲間に愛され、後援会役員にとってもいいお友達でした。会計経理については信用金庫の支店長としての経験もあり、お陰で後援会の会計事務は一手に専従。
 誰にも愛される人柄ゆえにこの20年間、事務所の顔として頑張って頂きましたが、その一方、「糖尿病を始め各種の病気」を抱え、苦しんできましたがその「人柄」の良さは多くの後援会員に愛されてきました。
 今朝、総合病院に家内と出かけようとした折、偶々(たまたま)気が付きました。
 事務所の軒先に巣作りし、、昨晩までせっせと餌を運んでいた親鳥と「4匹の雛」は旅だったのでしょう、空き巣になっておりました。

2018/06/01

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