静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2016年10月

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日経の「茶ばしら」を読む。

採(と)っていない「日本経済新聞」の記事をお隣の知人がご持参くださった。
 4つ折りにされた新聞記事の中に「茶ばしら」という主張が掲載され、その記事を私に見せる為にご持参くださったのでした。
 冒頭の言葉が「今年は『大道芸ワールドカップin静岡』が開催25年を迎える。」に始まり記者の素直な思いを掲載していました。
 曰く、なぜ静岡で?、なぜ大道芸が?、更には街中の「投げ銭」の文化にも驚いたとあり、総じて文面から察するに「静岡人に似合わないイベント」との感触を受けた。
 なるほど、大人しい静岡人のイベントとしては似つかわしくないと云われるでしょうが、愈々、四半世紀を経過する処となりました。
 読者のみなさん!今年も是非、見学に、「投げ銭」を懐にお出掛け下さい。

2016/10/18

貪欲な「浜松」を少しは見習っては如何でしょうか。

今や浜松市は大河ドラ「おんな城主 直虎」にぞっこんしております。
 昨年までの「徳川家康薨去400年」にあたっては、当初「三方が原の惨敗」の家康であったものが、いつの間にか「家康くん」でユルキャラの舞台を独り占めし、本家「駿府の家康」はどこかに置き忘れてしまった感がありました。
 そして今、更に格好の「おんな城主・直虎」が大河ドラマに取り上げられる処となり、街を挙げて悦に入っている次第です。浜松から「県庁所在地それ見たことか」の嘲笑的罵声が聞こえてきそうです。
 なるほど、「家康」亡き後は「城代」家老が居座っていただけ、200年余り将に「天下泰平」を決め込んできた「やる気のなさ」は今なお払拭できず、行政はもとより、あらゆる場面で「やる気」なし。
 そろそろ行政も貪欲に戦ってみては如何でしょう。

2016/10/17

「民共」連携は前進するか?

「解散風」が徐々に浸透し始め、本県でも民進党が静岡県8区で正式に候補者を決めた様です。
 それにしても、現在行われている東京10区と福岡6区の衆院選挙は新聞では「ステルス型」という格好の表現を戴いた選挙戦が展開されております。
 さてこの補欠選挙に現れた見苦しさは、例えば11日、蓮舫氏が民進党公認候補の応援演説をするその横に、協力頂いた「共産党議員」を無視して演説、将に「ステルス型」そのもののだったとのことです。
 ところで、民進党はこんな場面は分かりきっていながら、何故、「共産党隠し」に奔走するのですか。何故、選挙民に協力して貰っている事を隠さねばならないのでしょう。
 恐らく、共産党もそんなにお人よしではないでしょう。くわばら、くわばら・・・。

2016/10/16

議員報酬の1考察ー都知事の給与減額から。

恐らく報酬を自ら「減俸」した首長は全国各地におられるでしょう。本市の田辺市長も一期目には当選早々、実行した記憶があります。
 何故か、多くの首長は当選直後には「六方踏んで」給与の半額を提示するのでした。都知事もまた同様です。処がこれが2期、3期目とは続くことはありません。そう「六方」を踏むのはその時の勢いだからです。
 ところで、今、議員の給与、政務活動費など「声高」に論じられておりますが、本当に実態を知っての意見でしょうか。
 最近、議会関係者の影の声として「議員辞めたら生活保護」などと云う極めて自虐的言葉が若手議員の間から聞かれます。否、現在、全国的に議員を自身の仕事として専従している方が少なくありませんが、ご存知でしょうか、議員には退職金はなし、年金はなし、そして貯金できるほどの報酬もなく、ただ自身の夢への挑戦だけが「バックボーン」となって頑張っている事を。
 愈々、マックス・ウエーバーの「職業としての政治」は過去のものと消えていくようです。

2016/10/15

今日は町内の敬老会。

敬老会行事はそれまで学区連合町内が小学校の体育館を利用して開催して来ましたが、出席者の漸減により中止し、昨年より各町内会が独自に行う事になりました。
 今年は近所の割烹料理店を会場に本日、開催することになりました。
 処が、会長は嘗て私の「マジック」に騙された経験があるところから、今日は敬老者に実演してほしいとの「たっての願い」に承諾しました。
 今年は第25回の「大道芸カップ」、将に四半世紀の記念大会ですが、その第一回大会の冒頭で私は「ちょっとしたマジック」を披露致しましたが、これは当時、第一テレビの蓮井さん(故人となられました)に面倒みていただき、マジックの初級を覚えたのでした。
 蓮井さんのマジックの技量は「プロ」と云うべき技量で、その際に教えて頂いたマジックが朧げ乍ら、私の指に残っておりますので、見苦しいとは思いますが、町内会長に依頼されては断る事も出来ず、今、準備している処です。

2016/10/14

愈々、近づく「総選挙」の匂い

 ここに来て、衆院の「解散」風が肌に感じられるようになりました。殊に自民党の二階幹事長は本能的に「時の流れ」を読む政治家、それ故、任命された以上、頑張んなくてはの思いをエネルギーにして意気込んでおります。
 さて、対する民進党・蓮舫代表は7月の参院選挙の轍を踏まない様に早々と共産、生活、社民の野党3党と候補の1本化を目指すと決断、更に党都道府県連の勝手な意向は許さないとの強気の基本的方針で準備を開始したのである。
 恐らく、静岡1区の理解出来ない「民主党系候補」の動きもそんな「お家事情」の表れと存じます。でも、そんな党内闘争は愈々、自民有利に導くものと考えます。
 処で、「共産党」の匂いを嫌う市民は少なくありません、未だ「暴力革命」と「共産革命」を同一視する方々も少なくありません。
 「北朝鮮の節操なき軍事路線」などの報道は日本共産党にとって、大いなるマイナス要因となり、結果「民共」連携は民進党の「ため」にはならないと私は考えます。

2016/10/13

お陰様で今日もいい天気です。

何が効を奏するのか分かりませんが、本当に長い間、殊に「天候」には助けられております。
 今日、開催の「天野進吾の創る文化祭」、幸い、雨天となった日は恐らく1度ぐらいだったでしょう。その他、後援会事業などで、これまで「雨天順延」の記憶はありませんでした。
 そんな中でも、関係者の誰もが驚き、呆れた一件はその昔、「リバウエル・井川」スキー場のオープニングの朝でした。
 将に「土砂降り」、ワイパーを全開にしても容易に前が見えない状況下、それでも、井川の勘行峰スキー場を目指して、公用車は走り続けた。・・・「井川でのスキー場」なんて「不可能だ、人工雪でも無理だ」と牽制され罵倒されてきた「スキー場のオープニング」の祝辞を何と言えばいいのか・・・ひとり心の中で問答していた。雨は愈々激しくフロントグラスを叩く、車が殆ど頂上近くまで至っても、雨は一向に止む気配はなかった。
 その時です。激しい雨粒の中に、小さな雨粒を見つけた。「雪?」、私の疑問に運転手は「まさか」と思ったものの「なんでしょうね」と相槌をうつ。そこから200㍍ほど進んだところで、私達は己の目を疑った。そこは「一面真っ白な雪化粧のゲレンデ」でした。
 担当した佐野部長は目を真っ赤に腫らして「開会の言葉」を告げた。
 人々は「奇跡」だと私の「幸運」に驚いていた。

2016/10/12

明日の文化祭の準備で「てんやわんや」

3連休を過ごした今日、将に突然「文化祭」が明日に迫っていました。
 考えてみれば、準備の必要な事項がそのままに放置され、何か学生時代の「一夜づけ」の試験勉強に似て、今、てんてこ舞いで只今、その準備に余念がないところです。
 これまで、文化祭のオープニングは自作自演で制作しておりましたが、流石、回を重ねる毎に異なる舞台の制作は容易でなく、今回は簡単な「おとぼけ」をもって冒頭の演出といたしました。正直、「うまくいくかどうかは」やってみなければ・・・の思いです。
 しかし、入場料5000円は決して安価はありません。ではあっても1000人以上の入場を期待しての試みです、何と云ってもその収益は、事務所経費など私の政治活動の費用を捻出すためのものですから大事に致します。

2016/10/11

たった今、テレビで「ふるさと納税」が広報されていた。

地元に納めた税金の一部を、「ふるさと納税」という美化した「からくり」によって、殆どの場合、自身とは関りない都市に税金の一部を回すと、その地方の特産や素晴らしい土産物が送ってもらえるという制度が数年前から実行されています。
 処が「人間の欲得」には限りがない、殊に多額納税者の場合には全国の特産品、高級食品、例えば「00ステーキ」「フグ刺し」などを既に納めた税金の一部を散らばして特産品を濡れ手に粟のように送ってもらうのです。
 テレビでは潜在するこれらの問題点に言及せず、ただ「高級漁や果物」などが他愛なく入手できる方便を教えておりました。
 実は「ふるさとチョイス」とインターネットで調べればそこに詳細に入手の仕方が書かれています、これによって益々、本来の「ふるさと納税」の精神から逸脱した還付が実行されるでしょう。
 そうした中で静岡市はもとより上品な都市ですから、現実、「収入」より遥かに「減収」が酷く、年間には数億円の損失になるのが現在の「ふるさと納税」制度です。
 「御坊ちゃま」育ちの本市の行政は何処まで行っても「御坊ちゃま」では市民が可哀相ではありませんか。

2016/10/10

一切の警告のなかった「阿蘇山の噴火」

昨日、全く予測していなかった「阿蘇山」が突然に大爆発、幸い死亡事故はなかったものの噴煙は1万㍍以上に達し、1キロ㍍を超える範囲に噴石が飛散したのでした。
 それにしても、気象庁は24時間態勢で監視を続ける「常時観測火山」にも拘わらず、全く予測できなかったとは驚きです。否、それほどに地球の内部を探る事の難しさを顕したところと云えるでしょう。
 嘗て琉球大学の教授が、間もなく富士山が大爆発すると週刊誌に掲載、市民を不安に陥れましたが、矢張り「地球物理学」は算盤では弾けない世界なのかもしれません。
 今日の地震・火山・津波などの対策は、その昔、何時か『天』が落ちてくるのではと心配した「杞憂」の人々と同様に、怖れ、おののくことが当面の仕事のように思われるのですが如何でしょう。
 一切の「警戒情報」のなかった阿蘇山の噴火に思った次第です。

2016/10/09

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