静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2016年05月

表示件数:

オバマ氏の広島訪問を喜ぶ。

伊勢志摩サミット出席の為、来日するオバマ大統領が、「広島」を訪問する処となった。
 思えば、これまでのアメリカ大統領の中で、この「広島訪問」に最も似合うのはオバマ氏でありましょう。それは、何と云っても「核兵器なき世界」を訴え、それによって「ノーベル平和賞」を受賞した経緯からも、そして、「来年1月」が大統領の任期であれば、この時こそ、絶好機であると考えます。
 それにしても、「オバマさん」本当に幸運児ですね!
 勿論、ここ数年来、オバマ氏と安倍総理の間が極めて円満に、そして「問題」を共通の課題として対処してきたという客観的裏付けがあったからでした。
 熊本地震以来、明るい材料のなかった新聞紙上に小さな明かりが灯ったようです。

2016/05/11

なぜ?ボクシング世界チャンピオンの誕生

思えば白井義雄の世界タイトルマッチの試合を「テレビ」で見る為に、町内の「安田屋」そば店に「お小遣い」を強請って見に行った事を覚えています。
 「世界チャンピオン」というレッテルはこの時代、途轍もない強大なものでした。
 否、力道山の活躍だって子供心に夢を描かせた遥かな思い出でした。
 過日の日曜日、ボクシングの世界タイトルマッチが2戦、有明コロシアムで開催され、2試合共、名前も知らない日本選手が勝利しました。
 新聞を見れば、予想通りの結果とのことです。でもどうして、こんなに日本選手は強くなったのでしょうか。
 無表情のまま、私の横に座って、声もなく只テレビを見続けている息子は何を考えているのでしょう、そんな時、嘗て手に汗を握って、テレビに釘づけされた少年時代が懐かしいと思う今日、この頃です。

2016/05/10

何時まで続く余震騒ぎ。

間もなく発生から1カ月になろうとしております。にも拘らず相変わらず「震度4~3」の地震発生がテレビ画面に写し出され、その度に「一体いつまで?」と同情を禁じえない処です。
 恐らく、これほどまでに継続する余震発生の恐怖は過去に無かったものでしょう。
 勿論、地震学者も「あっけ」に取られていることでしょう。また「三連動地震」に脅かされてきた太平洋沿いの県や市の担当吏員は今、何と考えているのでしょう。
 高校時代、「地学」に関心を持てなかったのも、何となく頷けます。そう、解らない事ばかりなのです。
 今日も九州は雨だそうです。心からご同情申し上げます。

2016/05/09

「今がチャンス」北方領土返還に向けて。

6日、安倍首相はロシア南部の「ソチ」でプーチン大統領と会談しました。
 一方では国後(くなしり)、択捉(えとろふ)辺りでのロシア政府の積極的投資もあり、理解し難いところもありますが、久し振りに見せたロシアの「北方領土」に懸かる動きだと考えております。
 さて、ロシアにはウクライナ問題やシリア問題など容易でない政治課題が山積し、他方、石油の値段は暴落とくれば、プーチン大統領としても相談できる「盟友」が欲しかった処でしょう、それ故に「日本と安倍総理」が急遽、浮かび上がって来たように思われます。
 将に今がチャンスです。北方領土に終止符(ピリオド)を打つときと考えます。
 ロシアとしても、いつまでも地球の隅っこで孤高を守ってばかりいてはなりません。期待します。

2016/05/08

「俺たちに明日はない」、北鮮の党大会

実に36年ぶりの朝鮮労働党大会と云う。処がその開会にあたって、訪朝した全ての外国報道員を締め出し、国内のテレビ放送で放映しただけという。
 何故、「祝賀大会」であるはずの党大会にも拘わらず、秘密会にしたのでしょうか。
 それは今や北朝鮮が、政治的にも経済的にも「満身創痍」、残された国威は「ミサイル実験」を以てのみ、発揚できなかったからでしょう。
 ご案内のように、国内経済は愈々、困窮し、軍の兵士ですら民家から金品を盗むなど、その体(てい)たらくぶりは極限に至ったと云われております。
 一方、平壌には核・ミサイル開発に従事する科学者向けの高層住宅を整備、これを外国特派員らに見せて、その隆盛ぶりを顕示しているのです。
 処が、過日、中国国内で営業していた北朝鮮の飲食店で、従業員13人が一斉に韓国に逃亡、その後、こうした「外貨獲得のための飲食店」は閉鎖された、勿論北鮮では韓国側の拉致と喧伝している。
 あらゆる角度から考えても北朝鮮の命運は「かよわい蝋燭の灯」になってきたのであります。

2016/05/07

何故だろう、韓国の日本への「邪魔建て」。

何日か前、「Yahoo!」に掲載されておりましたが、お隣韓国の反日姿勢は一体、何時まで続くのでしょう。
 昨年、ユネスコの世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」を巡って、韓国の民間団体が登録を阻止するために全く関係ない資料を選定委員に配布、日本を貶(おとし)める「妨害工作」を行っていたとありました。
 殊に配られた冊子には、痩せた労働者らの写真が掲載され、「強制連行による労働を強いられた施設」、もって「登録すれば韓国民の激しい反発を招き、東アジアでの緊張状態を悪化させる」などと主張しているのでした。
 処が、配布された「冊子」を調べてみれば、写真は大正15年、北海道の旭川新聞に掲載された「道路建設現場」での虐待事件であって、朝鮮半島出身者には全く関わりのない事故の写真を転用したものでした。
 何故、韓国は今でもこんな馬鹿々々しいプロパガンダを続けるのでしょうか。こんな姿勢だから静岡空港から「インチョン行き」の日本人乗客が少ないのです。

2016/05/06

ふじのくに野外芸術フェスタに出向く。

1日、孫と一緒に駿府公園に出かけた折、「SPAC」の舞台が制作中でした。尋ねると明日から開催の「イナバとナバホの白兎」の舞台を建設中とのこと、そこで、勧められるままに「予約」してきたので、昨晩、家内と一緒に出掛けました。
 「天候」の事は考えていなかったので、午後6時半の開演は寒いだろうと昼間のスタイルに些か不安でしたが、幸い、暖かで穏やかな夜でした。
 それにしても、演出家・宮城聰氏の独創性や舞台創りの感性には驚かされます。
 思えば「舞台芸術」という耳新しい言葉を引き下げて、鈴木忠氏が30年前、本県に「SPAC」を持ち込んだ頃、その県費の大盤振る舞いに独り嫌われ者になって本会議場で糾弾しました。
 率直に云って、当時の舞台芸術は「県費の乱用」そのものでしたが、宮城氏になって、セクショナリズムを脱し、幅広い市民階層に舞台の基準を移していったのでした。
 正直云えば、「行政の舞台芸術」は大衆の理解からだと信ずるからであります。
 成程、今でも宮城氏の舞台は難解ではありますが、「語り・動き・演奏」は独特で、しかし「楽しいもの」でした。
 終演後、多くの観劇者たちが「俳優」の皆さんと舞台の出外で、笑顔で語り合っている姿は素晴らしいなと思いつつ帰宅しました。

2016/05/05

「憲法記念日」を過ぎて思う事。

施行から69年を過ぎた日本国憲法は、誕生後、間もなく「進駐軍によって齎(もたら)された憲法」と左翼勢力の怨嗟の的でしたが、遂にこれまで、1度も手を付けられることなく今日に至りました。
 殊に憲法第9条は後生大事として、「一触」させることもなく今日に至っていますが、そのことの不思議さを野党の皆さんはどう理解しているのでしょう。
 「9条」だけではありません。第一に憲法前文こそ単なる「センチメンタリズム」に溢れた言葉の羅列で「若菜集」にも及びません。
 「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」とあります、即ちこの憲法の前提は「諸国民の公正と信義」の上に立っている事を忘れてはなりません。
 一体、これまでも、今でも、どこに「信頼」できる隣国があったでしょうか。
 否、現憲法を傘にして、我が国は「海外派兵」の要請を拒んできました。しかし、そんな狡賢い姿勢で世界の信頼は得られるものではありません。
 敗戦の憂き目を見た独伊は重なる憲法改正をしております。否、世界で後生大事と堅持してきた国家は日本だけです。
 「日本人の正義感」を前面に出した憲法を考えてみては如何でしょう。

2016/05/04

昨日のコラムに続いて、「静岡」は静かな「HILL]ではありません。

本日、投稿する材料が思い浮かばなく、余談を掲載します。よろしく。 
「岡」を誰もが「丘」と同義語であると理解し、静かな丘をイメージしております。
 確かに賤機山の斜面に輝くみかんの季節は「静かな丘」を連想します。
 ところで、「岡」という漢字の普通名詞を探してみて下さい。固有名詞としては最も使われている漢字の一つですが、普通名詞では余り思いつかない処です。
 時間をかけて探した結果、先ず「岡っ引き」でしょう。「岡っ引き」とは十手持ちの前に居て「うろちょろ」してしている下っ端の男を言います。即ち主人公ではない立場の男の事です。「岡目八目」も囲碁、将棋を打っている男の後ろで覗き込み、独り、八目先までよんでいる男のこと、昔の言葉に「岡惚れ」も「岡場所」もありましたが、「岡」と云う漢字は「傍ら」と同義語で、「傍ら」の意味を持つ漢字なのです。
 その結果、主人公になる事を嫌い、傍らにあって静かにしている「市民性」が根付いてしまったのでしょう。
 ㊟「うろちょろ」は韓国語です。ウロは「右」、チョロは「左」とのことでした。

2016/05/03

明治維新で地名を変えさせらた町は「静岡」だけ。

このタイトルを見た方の多くは恐らく「?」を脳裡に浮かべたことでしょう。
 嘗て「駿府」と呼ばれ、日本史の主要な場面を受け持った「駿府」は明治の新政府に忌み嫌われ、その地名の変更を駿河学問所の塾頭・向山黄村に命じ、黄村は「賤機山」の「しづ」から「静」を取り「静岡」と命名したのです。
 もって、政府は正式にこの地を「静岡」と定め、県名も「静岡県」として今日に至ったのですが、何故かそれまで呼ばれていた地名(駿河府中の略称・駿府)が「政府の要請」によって替えられた地名は、全国広しと云え、他にはありません。
 この際、明治政府が「駿府」の名称を何故嫌ったか、序でに記録しておきます。
「駿府」は「駿河府中」の略称、甲府が「甲斐府中の略称」と同様です。処が「時代」が認めませんでした。
 「駿府」は漸く天皇中心の新体制が誕生した時、幕府が誕生した「府中」に15代将軍徳川慶喜公をはじめ、幕臣と云われる人々が「慶喜」をしたって全国からこの駿府に集まってきた。 これを安じた新政府の役人の中から、ー府中にあって「不忠」を起こされては困るーとの意見から、地名変更となったのでした。
 

2016/05/02

ページのトップへ

現在地:トップページ天野進吾のコラム