静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2016年04月

表示件数:

 静岡てんかん・神経医療センターが新聞に

知られていない本市の自慢の一つに、麻機・遊水地に囲まれた緑濃き場所に、「県立こども病院」と「国立てんかん・神経医療センター」が併設されております。
 今日の産経新聞にその医療センターが、「熊本地震」で治療を受けられなくなった患者を支援すべく「てんかんホットライン」を開設、患者や家族、医療関係者からの相談に24時間体制を組んで応じている、と掲載され、本市の「自慢すべき」施設であれば早速、コラムの題材としたところです。
 静岡のてんかん・神経医療センターは全国数ある国立神経病院の中でも、その実績は「ナンバーワン」と評価されているところであり、この度の試みに大いなる賛辞を贈ります。
 有難うございました。因みに、ホットラインは☎054・246・4618です。
 この際ご紹介しておきますが、並立している「県立こども病院」も全国から「患者さんやご家族」が訪れ、その実績は全国の子供病院の中でも「白眉」に位置しております。
 幸い、第二東名のインターチェンジを下りれば、10分で到着する便利さにあれば、今、医療関係者はこの一帯を「日本のベーテル」を建設したいと意気込んでいる処です。
 ドイツの人口34万人の「ビーレフェルト」という街の一角に「隣人愛」と「社会奉仕」を理念にもつ総合医療・福祉施設が造られておりますが、この施設を「ベーテル」と呼んでおります。

2016/04/20

「全国どこでも発生してもおかしくない」神戸大・石橋名誉教授

久しぶりに石橋克彦・名誉教授の「名前」に出会いました。
 凡そ40年前、駿河湾地震説を発表し、極めて近日中にM8級の大地震を発表、正直、静岡県民は「食料・水」をはじめ防災用具など取り揃え、更には県をはじめ市町村に至るまで、防災を第一に多額の財源を要したのであります。
 因みに本県ではそのために費やした県費はざっと2兆余円になります。
 本年度の当初予算でも、1日に5億余の返済を、しかも、終わりなき借金返済を余儀なくされております。
 その石橋名誉教授の言を借りれば「未知の活断層も多く、全国どこで発生してもおかしくない」と記載されております。
 正直云って私はかねがね、「地球物理学」の世界には解明困難なテーマが多過ぎ、もって、徒に国民の心中をかき回しすぎる、と思っています。
 本市の沿岸部では「地価」が津波を想定して低迷、お蔭で多くの方が迷惑を蒙っている。この事について私は以前からどうして「登呂遺跡」から木製の下駄、住宅用木製の材料など発見されて、「登呂遺跡の発見」となりましたが、若し、津波があったなら全ては流され、登呂の発見はなかったと考えます。

2016/04/18

「熊本城」に危機迫るが大分県の「岡城」はどうなった?

昨日、ご招待もあり静岡児童合唱団のコンサートに家内共々、出かけました。特に今回は「スイス」のア・カペラ合唱団を向けてのコンサート、「青葉会」挙げての事業だったでしょう、大変素晴らしい式典でした。
 何曲も続いた最後は「荒城の月」、80余名による合唱は、会場の誰もが感動する処でした。
 その時、私の脳裡に浮かんだのは「荒城の月」の舞台・大分県竹田市の「岡城」でした。
 岡城は第二の震源地・大分県にあれば、この地震でどうなったのか、「熊本城」の甚大な被害をテレビ画面で見て、私の脳裡に「岡城」が浮上したのでした。
 竹田市は「荒城の月」の作曲者・滝廉太郎の出身地である。15歳になって東京の音楽学校へ進学したものの、結核を患い、大分に戻り、療養するも23歳で亡くなったのでした。
 その竹田市に今では荒廃した「岡城」があり、名曲「荒城の月」の舞台と昔から聞いておりましたので、この度の地震によって「熊本城の惨状」を見るにつけ、「岡城」を心配したところでした。

2016/04/17

まさか、二日続きの大地震。

昨夜は10時ごろに就寝しましたが、どうしてか午前2時ごろに目覚め、しかし布団の中で「寝なければ」の思いで、今一度、眠りに就くよう努力しました。
 処が、頭の中は「日頃」と違って冴えわたり、一向に眠られませんでした。
 仕方なく、テレビのスイッチを押せば、何と前日のニュースと見間違うほどの画面が写され、そこには「1時**分」との表示と共に、写されている災害場面は前日以上の惨事でした。
 更に、この日の地震を余震というべきか、テレビ画面には「震度5」という恐ろしい数値が熊本から大分にとその震源地が増大、将に九州全体が「揺れ動いている」と感じたのでした。
 これまで見てきた「巨大地震」といえど、「1回限りの揺れ」に肝を冷やし、次の地震を心配したことはありませんでした。誠に恐ろしき今回の「巨大地震」です。

2016/04/16

「九州中部」に大地震。

昨夜、見ていたテレビ画面が突然替わり、将に「臨時ニュース」ばりに画面は熊本に、殊に熊本市のお隣「益城町」は震度7という想像も出来ない「揺れ」を伝えたのでした。
 しかも、この地震の特徴は、今朝まで断続的に余震(などと表現できないほど大きな震度)が続き、朝から「地震の話題」で持ち切りでした。
 それにしても、大きな地震が屡々、日本列島を襲いますが、何故か「本命の静岡」を避けています。
 そんなニュースを耳にするたびに「我が家ならとっくに潰れているね」の家内の心配は既に耳慣れ、家族の誰もが納得している実情ですが、さりとて「対応策」のない現実であれば、地震が来ない事を祈ろだけです。
 たった今、市役所から入ったニュースでは本日、「天皇・皇后両陛下」が本市を訪れる予定でしたが、昨日の災害を慮(おもんばか)って、来静を辞めたとの事でした。
 致し方なき選択と理解しました。

2016/04/15

お節介だが、今頃になって「地権者訪問」ですか。

今朝の静岡新聞の一面に、写真入りで栗原市長の「戸別訪問」の姿がありました。
 沼津の鉄道高架化の遅れは門外漢の私にも、市民に対し「同情」を禁じ得ません。
 思えば30年前、私が、静岡市長に就任した折、最初の仕事は「バイパス建設」反対の地権者回りでした。報道関係者には隠密をもって、気軽な姿勢で「反対地権者」を訪ねたのは、相手の構えを抑える為でした。
 時に庭に植えられた「松」の話しや6次産業のこと、その目的は地権者にも「行政側」と同じ机に向かって欲しいからでした。
 目一杯の「スタンドプレー」を交えながら、平和裏に「用地買収」を目指したものの、遂には「強制収用法」をもって解決するしか道はありませんでしたが、確かな事は「20年の無策を2年」で解決できたことでした。
 栗原市長、高架化の遅れは沼津市民に迷惑です。腹を据えて決断ください。余談ながら。

2016/04/14

「親の心子知らず」、何処へ行くふるさと納税。

3年ほど前、県議会議員と市長との協議会において、私から静岡市も「ふるさと納税」を実施し、もって草薙の「ポーラ化粧品」の工場用地を買っておくべきと進言しておきましたが、今は「その気はない」の一言で終わってしまいました。 
 その後、「ふるさと納税」は全国の自治体に伝染、今や、小さな市町においても「叡知」を込めた「納税」手段を提起している処です。
 近くは焼津市、将に市職員と市民が一体となって「ウエルカム・納税」を図り、箆棒(べらぼう)な収入を得ている処です。――「拍手」――
 最近になって本市も「ふるさと納税」の意義を知って、お蔭で相当の納税を頂いているところです。 
 処が最近、ふるさと納税の「心」を無視して、とんでもない市町が生まれてきました。
 例えば千葉県の大多喜町にあっては、「ふるさと感謝券」を返礼品に加えたところ、当然でしょうが、寄付が急増、18億円に跳ね上がり、その96%が金券を求める寄付とのこと、そしてその金券は今や、ネットオークションで売買されているというのです。
 これでは、育った自分の故郷に、「感謝」の心としての「納税」はないでしょう。
 これでは何のための「納税」か、

2016/04/13

今日、1年半ぶりに後援会の企業部会を開催します。

結局、野村監督の「生涯1捕手」の名言は、私にも当て嵌(はま)ってしまいました。
 25歳で静岡市議会に席を置いて以来、実に16回の選挙を経験してきました。
 勿論、老境に入ってもなお、自身の考え、発想に固執しながら、この街の「未来」を描き続けることのできる「職責」を与えてくれている事に、今更ながら、感謝しております。
 今日、開催する企業部会とは、日頃、経済的にも私を応援してくれる「企業・団体」の組織と云っていいでしょう。
 実は多くの議員仲間は年1回、「ホテル」などを使用して、高額な「パーティ」を開催しておりますが、私の場合、「県議会議長」の就任パーティ以来、やめました。その代り、市民会館を利用しての「天野進吾と創る文化祭」を開催し、その浄財をもって後援会費としております。勿論、その企画にしても、多くの方々にご迷惑をおかけする事は承知の上ですが、ご協力頂いております。
 暫く開かなかった企業部会、お詫びしなければなりません。

2016/04/12

今頃に、「ビキニ被爆、国を提訴」とは。

 数年前、高知県で「ビキニ環礁でマグロ漁をしていた船員を探して国を相手取って訴訟を起こそうと動きまわっている弁護士」のことが新聞に掲載されておりました。
 今回、その努力が実ってこの度の「提訴」となったでしょう。
 今回の訴訟の中身は国を相手とし、中身は「被ばくに関する調査結果を開示せず、米国への賠償請求の機会を奪われたとして、一人当たり200万円の慰謝料を求めたものです。
 更に、新聞では今なお「がん」などで苦しんでいる元漁師の存在を忘れるな、とこれを煽っていました。
 60年前のビキニ環礁には、第5福竜丸以外に凡そ800隻、船員の数で20000人が周辺でマグロ漁をしておりました。
 にも拘らず、福竜丸関係だけが米国から多額な補償を受けた事に対する「やっかみ」と、弁護士らの「煽り」にのってのこの度の訴訟は如何せん「弁護士の仕事作り」に過ぎないだろうと私は考えます。
 甚だ悲しき日本人の性(さが)と嘆ぜざるを得ません。

2016/04/11

5日の「議会のヤジの陳腐さ」の中、思い出の私の「ヤジ」について」

  今月5日の私のコラムで「ヤジ」について掲載し、その中で「1番の思い出のヤジ」を後に紹介すると書いておりますから、今日、ここに紹介します。
 それは、50年以上も前になります。私が大学4年の折、家内(既に結婚していました)の父親の出身地が岐阜の各務原市、そこは衆議院岐阜1区で「大野伴睦」らを選出していた選挙区でしたが、突如、大野伴睦氏が急逝、既に1名欠員となっていたために急遽、補欠選挙となり、その応援に妻共々、岐阜へ。
 2名の補欠選挙に、社会党から当選確実の候補、自民党からは大野伴睦の息子・大野明と武藤嘉文、そして元衆院議員の木村孝平と激戦を展開、予想では社会党候補と武藤か大野かのつばぜり合いと書かれていた。
 愈々、終盤となって、木村孝平候補の演説内容がおかしくなり「大野伴睦」を持ち上げ、その息子・明にエールを送り始めたのでした。
 そんな状況を苦々しく思っていた私は、田舎の立会演説会場の木村氏の演説中、喉が渇いたように、コップに手を伸ばした途端、会場の一番奥にいた私は堰を切ったように叫んでいた。「かっての英雄・木村孝平、何処へ行~く」この長いヤジの文句は木村応援団の拍手と入れ替わって、演説会場を一直線に貫いたのだった。会場は凍てつく様に静まり返ったのでした。

2016/04/09

ページのトップへ

現在地:トップページ天野進吾のコラム