静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2015年11月

表示件数:

自民党立党60年記念式典。

小さな記事で「自民党立党60年」と新聞に掲載されています。
 恐らくこの記事を思い出もって懐かしく接する日本人も少なくなっているでしょう。
 結党は昭和30年、自由党・緒方竹虎、民主党鳩山一郎、それに大野伴睦、三木武吉らによって結成されました。
 それから10年後の後のことと思いますが自民党静岡支部が誕生したのでした。この時、私は青年部を代表して、今は懐かしい静岡市公会堂において、自身の意見を述べさせていただきました。その時の支部の役員はもとより逝去されておりますが、「松永秀一」「織田清」「杉山竹次郎」など錚々(そうそう)たる市議団を思い出すところです。
 結局、私の人生はこの小さな街の一角で、生まれ、育ち、世話になりながら、恵まれた人生を歩んできました。感謝と反省を込めて・・・変なコラムで御免なさい。

2015/11/30

中国企業に膝まずく「落日の大英帝国」

私のタイトルではありません。昨日乗った新幹線に備えられた、持ち出し自由の雑誌「ウエッジ」のタイトルを転載しました。
 1週間程前だったでしょうか、新聞の1面に「英国の原発は中国に委ねる」の記事がありました。
 ご案内のように、「原子力発電」については英国が世界を牽引してきたはず、その英国がこの度、原発の建設から運営までの全てを「中国」に任すという。
 驚きです。あの「大英帝国」が安全保障上の極めて大きなリスクを払ってでも、中国の資金と技術に頼らざるを得なくなった事実です。
 黄昏(たそがれ)の英国経済については勿論承知しておりましたが、それほどの惨めな状況下とは知りませんでしたが、このことについて遠い「対岸の火事」と平和の顔をしていては危険です。
 我が国の「原発」政策についても、「怪しき」隣人の存在を意識しながら、如何にあるべきかを究明して参ります。

2015/11/29

朝、6時半の新幹線で岐阜に。

岐阜で聞いたお話しです。
 名古屋では現在、ドライバーにとって、有難い「ガソリン料金値下げ合戦」が展開されているとのことです。
 最近、日本各地に出店忙しい「コストコ」が、そういえば「浜松」にも出店との事ですが、最近、自社のスタンド近くにあった安売り屋「ユニーオイル」が突然、1L当たり117円の超廉価でガソリンを売り出したのでした。
 メンツの潰れたコストコは一気に「115円」で挑戦、ここから両社のガソリン価格のたたき合いが始まり、そして遂に、レギュラーガソリンの価格はコストコの87円に対しユニーオイルは85円となったとの事でした。
 近隣の市民には全く結構な「安売り合戦」と云うべきでしょう。
 さて、午後7時半に帰りましたので、本日はこれにて失礼します。

2015/11/28

ご無沙汰の「富士山三保子」、今日この頃。

今月のコラムへの投稿はパーヘクト、にも拘らず本日は特段のテーマもありませんので、久し振りにいつもの「富士山三保子その後」を掲載し、その近況をお知らせします。
 1昨日、私は神戸市に書簡を送りました。ご案内でしょうが現在、「人形・富士山三保子」が身に着けている着物は88年前、同じく答礼人形としてアメリカに贈られた神戸の人形が着ていた着物です。その襟首には「船の錨」のマーク⚓を模(かたど)った市章がそのことを証明しておりますが、2か月後に「里帰り」しますので、本県ではあらかじめ「富士山と三保」をデザインした新たな着物を京都に発注しております。
 しかし、そのような歴史も、そして本県が実行しようとする「里帰り事業」もご存知ないのでは失礼と思い、勝手に神戸市秘書課にこれまでの経緯など関係書類など送付致しました。
 恐らく、今日明日にでも神戸市から反応があるものと期待しております。

2015/11/27

新聞一面に掲載される「ニュース」でしょうか?

「原節子」と聞いてその出演映画、題名ではなく映画の「一シーン」を脳裏に浮かべられる国民は何%いるでしょうか。殆ど皆無に近いでしょう、勿論、DVDの時代であれば、見たいと思えばいつでも可能でしょうが。
 恐らく記者も「原節子」というカリスマに踊って掲載した記事であって、殆どの人々は現役の原節子さんについては知らないでしょう。
 半世紀もの間、鎌倉の一軒家に閉じこもって、俗界を断った彼女の生き様が決して意義ある選択とは思いませんでした。将にこの記事はセンチメンタルな迎合としか感じませんでした。
 さて「産経新聞」の13版に囲み記事で「ユニクロ」の社会貢献の記事があります。
 勿論、ユニクロの「世界征服の意欲」の表れでしょうが来年から「国連難民高等弁務官事務所」に総額12億円を支援し、難民の雇用についても現在13人を100人に拡大するという。誠に嬉しいニュースである。またバチカンやアフガンに逃れている難民に「ヒートテック」15万点を年内に寄贈するという。本当にありがたい行為と云わざるを得ません。
 

2015/11/26

大暴落の野田聖子株

過日、「総理の椅子」も脳裡に描いて歩んできた野田聖子代議士の想定外発言に、各界から厳しい罵声が飛び、一気に「野田株」は売り一色の「暴落」と化したのであります。
 中国の南シナ海の「岩礁の埋立、そして基地化」に何故野田氏は「口を挟むべからず」と主張するのでしょうか、敢えて探せば国民に「私はハト派」と主張したかったかもしれません。 ところで、味方にもしたい中国は今や、世界の「四面楚歌」にあります。
 ことに習近平主席の先の訪米は将に「よせばいいのに」の一言でした。
 訪米したその日から冷ややかな対応、そして「笑顔」一つない共同記者会見、、第一、オバマ大統領は最後まで習主席と目を合わせることはなかった云う。
 そんな政治環境の最中、この度の野田氏の発言は「トンチンカン」の最たる言動と云えるでしょう。

2015/11/25

磐田J1復帰、おめでとう。

皮肉なもので、清水エスパルスが陥落すれば、磐田が戻りました。
 昨日の最終戦、しかも終了間際のゴールによって「J1復帰」が実現、今朝の静岡新聞は1面から大賑わいでこれを報道しています。おめでとう。
 しかし、何故か、無視されているのでないかと疑問に思ったことは、去る12日に逝去された父親の名波元一さんの件でした。
 今朝の名波監督の胴上げを斯くも派手に報道するなら、父親への悲しみをひた隠しにして戦った「監督」の胸中も記事として扱ってもいいだろう。
 センチメンタルなと卑下するかもしれないが、通夜の席で見た監督の心には何としても「J1復帰」を誓っていたはずだと私は感じた次第です。
 前の試合が引き分けでなければ、県立病院のベッドに臥す父親に喜びの報告ができたものの・・・と些かセンチメンタルの思いを、友人の一人として思いを強くしました。

2015/11/24

「大山鳴動、鼠一匹」、大阪のダブル選挙

ダブル選挙は予想通り、「維新」の完勝に終わりました。しかし、当選した知事・市長共に失礼ながら、橋下徹氏が利用する「マウス」に思えるのです。
 新聞各紙では次期総選挙に当って橋下氏は当然、衆院選挙に出馬し、一つの政党を組織すると見られております。その時の「大阪維新」は自民党と握手、「改憲」を手伝う一方、大阪都構想の実現を目指すものと考えます。
 実はその時、私が長い間怖れてきた「地方自治」の「大改革」、即ち「道州制」への転換であります。
 正直言って、全国どこの都市よりも、県庁所在地・静岡市は「道州制」の導入は迷惑です。
 何故なら、この町は「自立心」が欠如しているからです。江戸時代より誰かが、何処かが、何かをしてくれると云った「他人任せ」、「おんぶに抱っこ」の代表的市民性とも云えるのです。
 更には道州制が施行されれば、東に東京・横浜、西に名古屋という大都市に収斂されていくでしょう。
 ですから自立心の希薄な本市にとって「道州制」は原爆以上の破壊をもたらすことでしょう。

2015/11/23

「ユニーク」な講演をさせてもらいました。

昨晩は横内学区の各種組織の全体集会が、例年この時期に開催されますが、本年も懇親会の前に「何か講演を」と依頼され、以来、久しく「題目」についても迷ってきました。
 そんな折、常々感じてきた自身の「幸運の星」をテーマにしてみては如何、と思いついたのでした。
 これまでの講演内容は、市政県政を基調に政治的行政的テーマを基調に話ししてきましたが、時には自身の「赤裸々な私自身を知ってもらう」ことも「恰好の時期」に来たと理解し、私の恵まれた道程を聞いてもらう事にしたのでした。
 正直言って、本当に素晴らしい先生や仲間によって、私の歩みは築かれてきました。
 幾つかの幸運な思い出を語る中で、エピローグは、私が高校3年生時の出来事です。部活の担当教師から、当時、静岡市内で著名な「アウトサイダー」に苦言を呈する役割を命ぜられ、度胸を決めて実行しましたが、そのことが実に30数年後、「駅南再開発事業」の進捗に多大な影響をもたらす処となったのでした。
 そのような運命的幸運が常に私をバックアップしてくれましたが、そんな題材を披露させていただき、好評を頂いた処でした。

2015/11/22

新聞の見出しに「大道芸」の言葉。

今朝、事務所に入って、産経新聞を拓けば、3面記事の見出しに「モンマルトル 大道芸人の姿なく・・・」とありました。勿論、パリ同時テロを表現したことばですが・・・。
 その「大活字」を見て人知れず、ほくそ笑んだのでした。過日、本市において開催された「大道芸ワールドカップ」は24回目を数えましたが、この企画の当初段階では「パホーマンス大会」の呼称で準備してきたのでした。処が青年会議所のメンバーなどこれを実行する「青年」達の間から、殆ど忘れかけていた日本語「大道芸」を使用したいの意見が浮上、結果、「大道芸ワールドカップ」になったのでしたが、当時、「破棄され、忘れかけた日本語」と議会だけでなく市民サイドからも「何のことか判らない」、「バナナのたたき売りか」と意見されたこともありました。
 実は、過日の大会に参加された日本人芸人と会話する機会があり、その中で、「静岡大会」はヨーロッパをはじめ、世界中で知られ、「大会への出場」について屡々、参加する方法について問われるとのこと、その世界では「本市はメッカ」となりつつあると教えていただきました。
 四半世紀前、市役所のイベント企画室で準備していた頃は「パホーマンス」でした。それがいつの間にか、大新聞の見出しにも「大道芸」と記載されるほどに「大衆文化」となったこと誇らしく思った今朝でした。

2015/11/21

ページのトップへ

現在地:トップページ天野進吾のコラム