静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2015年10月

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まさかの2日続きの「ノーベル賞」

驚きました、今度は物理学賞の受賞、しかも「ニュートリノ質量」の研究、02年に小柴昌俊教授が受賞した同じトリノ研究で2度目の「ノーベル賞」の授与とは驚きです。
 昨日のテレビで久しぶりにお目にかかった小柴教授も喜びの言葉を聞きながら、お歳を取られたな、と感じましたが、「ニュートリノ」の研究は更に進んでいる証でした。
 しかし、同時にこの研究のバックボーンになってきた浜松ホトニクスの晝馬会長の存在こそこの偉大な研究の基礎だと確信しております。
 平成3年ごろでした。早朝、独りのお年寄りが全く予約なく、しかも秘書課も無視して、突然、市長室への来訪でした。
 「どちら様で・・・」と問えば「ホトニクスの晝馬です」、 処が、1週間後に、また予約なく、今度は「ニュートリノ」というお化けを抱えた東大名誉教授という肩書の名刺をもった老人の来訪でした。
 椅子に座った小柴教授に、来訪目的を訪ねれば、すかさず「井川」に直径200m、深さ50mのプールを作り、自身の研究対象である「地球を貫く物質・ニュートリノ」を捉えたいという私には全く不可解な宇宙工学の説明でした。今でもその際私に寄贈してくれた「ニュートリノ天文学の誕生」というサイン入りの小冊子が脇の書庫に収まっております。
 時代は大きく流れて、「井川の天文台」はハワイに、「巨大プール」は岐阜の「スーパーカミオカンデ」と姿を替えて生きております。

2015/10/07

今年もノーベル賞。

 「山梨県韮崎の出身」といえばお隣のおじいさん。本当におめでとうございます!
 しかも、伊東の川名ゴルフ場の土壌採取がその後の大発見につながったという。
 「川名」といえば「へぼ」のゴルフ好きには、碌な思い出はない処、矢鱈、難しく、一度入ったらギブアップのアジソンバンカー、昼食のカレーライスが確か2000円、目が飛び出すほどに高額のゴルフ場でしたが、「ノーベル賞」受賞の切っ掛けがそのグリーンに隠れていようとは!
 それにしても、大村先生、おめでとうございます。
 とはいえ、日本人のノーベル賞受賞のなんと多い事か、驚きです。殊にアジア圏での授賞は圧倒的に日本であれば、中国、韓国など地団駄を踏む思いで今日のニュースを見るでしょう。

2015/10/06

久しぶりに見る「丹東」の活字。

 「スパイ」の嫌疑で中国当局に逮捕された日本人ついて今朝の新聞に載っています。
 その街が「タントン(丹東)」と知った時、この日本人の無防備さに驚きました。
 丹東は中国と北朝鮮の接点であり、狭い川が国境となっています。多くの脱北者の経由する道、それ故に、丹東の街には沢山の朝鮮系の市民がいるとの事です。
 そんな街であることは十二分に承知の上での今回、逮捕された男の行動は些か不用心、新聞では「脱北者の支援活動」と記載しておりますが、ならば更に慎重であってほしいと私は考えます。
 概して日本人の行動の中には「勝手な正義感」の元に、自分勝手な行動が屡々見られるのでした。
 70年間の「泰平」時代に馴らされ、他国の心理と環境を理解せず、自分勝手な振舞いが結果として今回の様な事件を惹起するのです。
 その結果、解決のために無用な「譲歩」が求められのです。

2015/10/04

昨晩、60年前の父の故郷を訪ねました。

 前日、掛川から電話があり、私の父とは「はとこ」に当る方のお「通夜」に、兄と一緒に出席してきました。おそらく、人口密度の極端に薄い「平島」にあっては、親しくして頂いた最後の身内というべきでしょう。
 「通夜の読経」1時間前を考え、5時に指定された農協の駐車場に車を入れました。
 運転した息子も誘って、私達は60年前を回顧するように田舎道を散策しました。
 実は私達兄弟には「夏休みの楽しみの一つ」がこの田舎の川で「亀」や小魚を取ったり、「うげ」に「ごうがい」を潰して入れ、夕方川底に仕込み「ウナギ」を取ったものでした。
 その川も今では鮎はもとより「鮒やもろご」もいなくなったとの事、寂しい限りです。
 しかし、60年前の山道はそのままに、回想しながら登れば、そこに一層寂れた神社が佇んでいました。  
 「ここで遊んだもんだ」蝉や蝶々などと戯れた少年時代が自然に脳裡に浮かびます。
 私の父親は人家の希薄なこの「平島」にあって、新聞配達しながら小学校を卒業するや、静岡の床屋に「丁稚奉公」に出されたのでした。
 今、私達が静岡市民であるのはそんな寂しい歴史の名から生まれたのです。
 「飾ることなく、只朴訥に」人生を歩んだ父親への感謝として私達は父の故郷を訪ね、別れを告げてきました。

2015/10/03

驚きました、静岡市立大学構想。

30日の静岡新聞の夕刊に白抜きの大活字で「静岡市立大の設置検討」と本会議での市長答弁とありました。
 なるほど近年の本市の高校卒業生は新聞によれば、6500人のうち、市内の大学入学者は4500人(この数字にも疑問ですが)、そこで静岡市もこの際、「市立大学」をと発想されたことと思います。
 ところで、全国には横浜市立、大阪市立と全国にその名を売っている大学がありますが、所詮、望むべくもないところ、本市にあって、一体どういう性格の大学を考えるのか、私もお尋ねしたいところです。
 ところで、この市立大学構想は何時、何処から誕生したのでしょう。
 基本的には私も賛成します。しかし、その場の思いつき「答弁」ではなりません。そこで私はお尋ねしたい。若しその気があったなら、何故、草薙の国道沿いにある「ポーラ」化粧品の跡地を入手する発想をしなかったのでしょう。
 ポーラ化粧品は本市が生んだ超有名企業です。箱根のポーラ美術館の館蔵品は世界の芸術品、そのポーラが遂に本市を脱出しました。その工場跡地凡そ15000坪の入手に、私の提言にも全く触手を動かさなかった本市が突然、市立大学構想が飛び出すとは正直、驚きでした。今でも入手可能と思います。真剣に触手を動かしてみては如何でしょう。

2015/10/02

眠そうな習近平国家主席

最近の習近平主席の華々しいご活躍の裏に、何かご心配の振りが見られます。
 或は偏見的眼差しの私の思いが根底にあるからでしょうか。おそらく習主席の意識の中に払拭してもしきれない「不安」が忍び寄っていると私の目には映るのです。 
 誰もが云う様に「トップ」の座を降りたらそこは「地獄」という「闇から闇の連鎖社会」が今の中国政治、誰もが想像する「怖い、怖い」お国ですから・・・。
 確かに習近平主席はこの僅かな期間に国際社会に確固たる地位を築き、国民経済を上昇させ、第二の毛沢東にも並び称せられる結果を残したように思われますが、一方、自分にとって邪魔な人物や組織は強権によってこれを壊滅、その怨嗟の声は今日、中国全土に渦巻くところとなったのです。
 そのためでしょうか、最近のテレビに映る習主席の顔写真には全く笑みはありません。お疲れ、睡眠不足、それでも24時間、休む暇なしの毎日でしょう。護衛も以前は10人であったものが今では30人以上、勿論、彼らとて安心ならない北京の昨今です。お大事に!
 

2015/10/01

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