静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2015年01月

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驚異の科学、ハッブル望遠鏡はお化け?

 1995年、ハッブルが撮影した星雲の画像、その昔、新聞で見て「どうしてそんなことが・・・」の払拭できない疑問を抱いてきましたが、今朝の新聞にはその「わし星雲」の更に変化している画像が掲載されておりました。
 光速は1秒間に地球を7周半めぐる速さと小学校の時から聞いております。その光のスピードで6500年かかると云う、将に最果ての空間に、柱のようなガス状物質があり、これを「わし星雲」と呼び、その中から今、次々に新たな星が誕生するその様子をとらえているのでした。誠に驚きの限りです。
 兵庫県の赤穂市だったか、記憶は定かではないが、県議会の視察の途中に立ち寄ったある研究所で、1キロmのまっすぐな円筒を前に、研究所の職員が「これは何のための施設と思いますか」と聞かれ、誰も黙して答えられなかった時、発作的に私は「光速を測る道具?」と口走っていました。「日本の何処かにそんな道具があること」を聞いていましたので、自然に
答えていたのですが、僅か1キロmの道具を持って「光の速さ」を調べる道具があるとは驚きでした。
 科学とは「何と未知の世界」を歩いていることでしょう。驚きます。

2015/01/08

断固たる姿勢でSS(シーシェパード)に。

 動物保護を主張して、日本の捕鯨に反対し続けるシー・シェパード(SS)の無謀さに政府は確固たる姿勢で臨むべきでしょう。
 食用として鯨も海豚(いるか)も日本の伝統的食料の一つ、同時に日本の文化の一端でもあるその「捕獲」に茶々を入れ、あまつさえ、最近では年間100人に及ぶ「海豚漁」妨害にやってくる。
 その連中の魂胆は一に掛かって「社会正義」の名のもとに集まってくる多くの寄付金収入を目的としたものです。
 顧みれば、明治の初め、ペリーが日本を訪れたのも「捕鯨船団に食料や燃料の補給」でした。ものの本によれば、この頃、年間に数百隻の捕鯨船がハワイを母港として「船団」が日本海に入り、結局、日本海から鯨の姿は消えていったとのことです。
 処がその後、太平洋を中心に日本の捕鯨船団が活躍すると、この「SS」は「大型動物」の殺戮は宗教上も許せないと主張し、暴力的に捕鯨の邪魔活動に専念してきたのでした。
 私の記憶する所では旧約聖書の中に「嘗て人間は大きな魚に助けられた」との解釈ができる1文があり、その「大きな魚」こそ鯨だったと考え『反捕鯨』運動が始まったと聞いております。
 その「SS」に断固たる姿勢を持って対処することは、何の「恥」でもありません。和歌山県太地町(だいじちょう)の苦難を思えば、そして「金持ちになった日本」への〝妬みと嫌がらせ”に断固たる姿勢を見せておく必要があります。

2015/01/07

それにして理解できない韓国の「権力政治」

 昨年来、韓国政治の中で、魑魅魍魎とした政治的動きに、今朝の新聞によれば、「幕引き」されたとあります。
 いつものことだが、こうした政治的スキャンダルを「謎」のままに葬ってしまう韓国政治に屡々、驚かされます。
 その昔、東京のホテルから簀巻きにされ、玄海灘の藻屑にされそうになったあの「金大中事件」も同様、更にはその金大中氏が、後に「暴露」されるところとなった「南北朝鮮の融和劇」、実は多額の経済援助という「目の前の人参」を実行し、その後「知らぬは仏」、韓国内唯一の「ノーベル平和賞」を手にしたが、その裏側の実態は当時、誰も知らされず実行されたのでした。
 このたびの朴大統領の裏側で「実権を握る」チョン・ユンフエが絡む「事件」であったことは誰もが想像するところだが、これまた、1警察官の個人的犯行として幕を引く処となった。
 この事件もそうだが、私の目から見ても、「韓国検察は大統領の護衛機関」としか映らないのです。
 所詮、「一衣帯水」の隣国であれば近隣諸国の理解できる政治基盤を早々に築いてほしいと願うものであります。

2015/01/06

昨日のコラムを再録、「ああ、悲しき中央の箱根駅伝」

 1昨日の箱根駅伝の結果は見るも無残な成績でした。勿論、アンカーの故障と云うアクシデントはあったにせよ、往路の8位から、翌日は19位に転落していようとは、将に「嘆かはしき」中央大学の歴史でした。
 昭和37年、法学部に入学した2000人近くの生徒の中で、第2外国語に中国語を選んだ奇特の学生は僅かに35人、そこに「下駄」を履いて入学した「スポーツ特待生」が15人ほど加わり、わがクラスは成立したのでした。
 その「スポーツ特待生」の代表が若松軍三君でした。大学4年の最後の箱根マラソンではアンカーとなって、500メートル先を行く日大を追って、バトンタッチ、見事彼が「駅伝5連勝」のテープを切ったのでした。15人の中には他に東京オリンピックの「ボクシング」候補が二人、国体の棒高跳びで優勝した男など、スポーツ新聞を賑わす仲間が他にもいました。
 一方、司法試験に合格し法曹界に進んだ男が5人、他方、試験には恵まれず、道を変えて議会を目指したものとして、衆院議員が2名、私と同様に地方議会に出たのは二人でした。ただし私も最初から司法試験は考えませんでした。そんな中で、珍しい男が「アイワ不動産」の藤井嗣也君です。
 市議に当選した私は極く気楽な気持ちで電話した処、「それでは静岡に行く」と云って、それまでのサラリーマン生活にピリオドを撃って、来静、あれから40年、姫路出身の藤井嗣也君の経営する「アイワ不動産」は今も繁盛しております。
 思えば彼が中央大学に入学して、最初に会話した男でした。
 転落「箱根マラソン」を新聞で見乍ら感じたことを「徒然なるままに」書きました。

2015/01/05

どうする翁長沖縄県知事

 新年を迎え、その行政方針が注目される沖縄の新知事・翁長雄志氏の対応は如何に。
 もともと、自民党県連の幹事長、後に那覇市長であった翁長氏がどうして「辺野古移設」に反対することになったのだろう。
 この選挙戦、ただ「辺野古移転」反対だけを看板にして戦ったが、これからの沖縄のあるべき方向を一言も論ずることなく、基地問題だけに終始したが、果たして本当にそれでよかっただろうか?
 正直言って、1996年、日米の合意に基づいて住宅街に近い普天間飛行場から名護市辺野古への移設がが決まったのである。
 殊に最近の中国情勢は将に「覇権主義」、その際たる姿勢が「海洋進出」にあれば、南シナ海の実効支配を含めて沖縄のとるべき政策は明らかと云えるでしょう。
 辺野古移設は感情だけで処置できない「東南アジア」全体の防空識別圏の問題にも波及してくる所です。
 翁長知事は一部の左翼勢力の扇動に踊らされことなく、そして「日本の安全保障」を第一とした県政の遂行を期待するものです。
 「普天間飛行場」の地権者が移設によって失わる膨大な損失は明々白々の処ですが、その「移転」こそが沖縄県民の長い間の願いだったことを今一度振り返って頂きたいと思います。
 

2015/01/05

何故か、独り残されて・・・。

 勿論、独り残されて「寂しく」も感じない不感年齢ですが、今日は息子の運転で家内と孫二人を乗せて、「靖国神社」へ出かけました。
 恐らく、殆どの方には「正月早々・・・」と訝(いぶか)しく思ったところでしょうが、わが家では何の不思議もないのです。何故なら昨日は娘が孫二人と皇居へ参拝、「一度は皇室の皆さんのお顔を」と云って出かけました。勿論、孫の賛否は取らずに・・・。
 第三者からすれば「右翼」の家族と思うでしょうが、私は「やや右寄りの中道」と自負しております。
 実は昨日のコラムで「靖国神社訪問」を掲載したつもりが、「更新」のボタンを押し間違えたか、いずれにせよ、「本文」はどこかに消えていきました。
 正月早々、こんなヘマをやっていて大丈夫でしょうか、今年は統一地方選挙の年であれば・・・。本日はこれにて失礼します。

2015/01/03

明けましておめでとうございます

 早朝のテレビでは全国の「初日の出」を放映しておりましたが、残念ながら殆どが曇り空の中で、期待に応えられませんでした。
 処が、7時過ぎ、私が事務所に出かける折の、静岡の太陽は目一杯に光を注いでいました。恐らく、静岡海岸に出かけた人も、山で初日を待ち構えた家族連れも、思いっきり万歳を叫んだことでしょう。
 元日の朝を「元旦」と云います。「旦」は象形文字で、「-」は地平線、地平線の上に陽が上ったので、「旦」、ですから元旦は元日の朝を言いますが、最近は1月1日を指すこともあります。
 序に余談ですが、「東雲」と書いて「しののめ」と読みますが、これは篠竹を材料でつくった粗末の家に、早朝、「木洩れ日」のように光が差してくる。それは恰も東の空に太陽が雲間からこぼれてくる光に似ていることから、「篠竹」の隙間を「目」と考え、「東雲」と書いて「しののめ」と読ませたのでした。日本語ってかっこいいですね。

2015/01/01

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