静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2014年10月

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遂に不支持が上回る・・・朴大統領の人気は凋落

産経新聞の支局長が書いた「コラム」に憤り、韓国政府は大統領の名誉を棄損したとして、支局長を在宅起訴しましたが、これについて昨日、正式に日本政府は韓国政府に対し「遺憾」の意を伝えるととに、厳重抗議した処です。
 もともと、韓国政界においては、朴大統領を巡る「破廉恥」な噂は以前から周知の処でした。旅客船セウォウル号が沈没した4月16日、長時間にわたって大統領との連絡が不能になった原因が、「噂の男」との密会にあっただろうと「朝鮮日報」が報じていた件を、産経新聞の支局長がコラムとして執筆したに過ぎないのでした。
 朝鮮日報の記事では「秘線」という言葉を使い、明らかに具体的人物を念頭に置いて綴ったものと「青瓦台」では噂されていたところです。
 金秘書室長も新聞記者らに大統領の行き先を尋ねられても、「わからない」の一辺倒で通し続けたのは、大統領のお相手がセリヌ党の元側近であれば、喩え、周知の事実であれ、「知らない」の一言でした。
 韓国のマーケチングリサーチでは日本のように厳しい内閣支持率が示されることは稀れ、今回初めて「不支持」が「支持」を上回ったこと、即ち朴内閣の「死に体」を意味するところです。こんなところにも「嫌日」の原因があるのではないでしょうか。

2014/10/10

「富士山(ふじやま)三保子」、遂に新聞に。

このコラムで「富士山三保子」が話題として取り上げてきた回数は都合5回目になります。
 そして、昨日、米・カンザスシテー博物館から県・地域外交課に「富士山三保子」のカラー写真が贈られてきたのでした。
 偶然のことでしたがこの日、発起人である丹羽ご夫妻が川勝知事に面会を予約してありましたので、「博物館から富士山三保子の写真」の到着は偶然の事ながら、会話の一層の盛り上げとなったところでした。
 ――たった今、その新聞を読んで丹羽さんから喜びの電話が入りました。
 さて、知事の言葉にもありましたが、次は「富士山三保子の里帰り」です。国内では長崎県など数県で20年ほど前から「里帰り」が実施されております。
 面会の席で、写真を見ていた1人が「横浜の人形の家」から送られた写真(いつ頃のものかは分かりませんが)に比べ「富士山三保子の首が僅かながら、前かがみになっている点」を指摘され、関係者は「80年という歳月から痛みがきているのかも知れない」と気遣っていました。
 戦争によって、発起した心は壊滅しましたが、「平和」への願いは不滅です。太平洋戦争前の国民の平和への象徴であったこの「日本人形」と童謡に歌われた「青い目をしたお人形」展は、実行されれば多くの人々の心にひと時の安らぎを齎(もたら)すものと思います。

2014/10/09

愕然とする「カジノ法案」の行方

ノーベル物理学賞受賞の喜ばしいニュースの一方、私には想定外の「とんでもない」ニュースが、今朝の6時のNHKテレビで教えられました。
 審議されてきた通称「カジノ法案」が昨日、急遽、具体的方向を出したのでした。
 即ち6年後の東京オリンピックを見据えて、訪日外国人を対象とした「カジノのみ」を認可するという、これまで全く話題にもならなかった方向で、結論付けるようです。
 おそらく選挙民から「カジノなんて・・・」という蔑(さげす)みの言葉を恐れた議員の「隠れ蓑」でしょうが、誠に残念の限りです。
 おそらく「外国人専用」となれば、東京・大阪だけが対象となるでしょう。
 私には「IR法」は地方にとって最後の活性化のチャンスと考えてきました。否、静岡市こそ「IR」は蘇(よみがえ)ることのできる最後の機会と信じ、長い間、声高に訴えてきました。  
 注・・・IRとは単にカジノ施設でだけでなく、様々な行楽施設を含めた大規模集客施設をいう。
 勿論「IR法」がこのままに終わるとは思いません。第一に地方からは大都市集中の政策は止めるべきとの声が高まるでしょう。本市にとって「IR」は最後の切り札として考えてきましたので臆することなく、これからも主張して参ります。

2014/10/08

「二階氏、再び存在感」の活字に驚く

自民党の二階俊博総務会長が中国との「関係冷え込み」の改善に、存在感を現していると今朝の静岡新聞にある。
 実は、過日、党の総務会長に推されるまでは、愈々、ロートル議員として「多数の中の一人」に放擲されてしまったのかと、大学の、そしてクラブの後輩として寂しく思っておりました。
 昭和30年代後半、二階俊博氏は静岡県第2区の遠藤三郎代議士の秘書として、県内の政治に関わる方々には案外お馴染でした。
 昭和42年の正月のこと、竹山祐太郎知事の一期目の選挙に際し、二階氏にとっては頭の上がらない大先輩(東京在住)が、何故か県連職員の私を誘って竹山東部事務所を訪問しました。
 迎えた二階氏、大慌てにて高級寿司屋に招待したり、クラブに足を運んだり、恰も出来のいい番頭ぶりを存分に発揮しておりました。
 それから間もなく、彼は故郷・和歌山に帰り、衆議院議員に立候補、当選、以来順調に30年間、勤め上げ、その間には運輸大臣、経済産業大臣など歴任して今日に至っております。
 新聞の見出しを見て、懐かしく思い出しながら駄文を添えました。

2014/10/07

只今が最も強烈な雨と風、7時25分

さて、仁川で開催されていたアジア大会は極めて納得できないトラブル、しかも我儘勝手な韓国人気質によって、日本人ばかりでなく、その不評は世界中に知れ渡ってしまった。
 殊に4年後の平昌(ピヨンチャン)冬季オリンピックにその心配を連想する日本人は少なくないでしょう。
 少なくても二日目に「聖火」が消え、またバトミントン会場では「空調設備」が韓国選手に味方する、或いは卓球台が傾斜していた事など、産業立国とは全く思えない姿を露呈していました。
 更には反日意識の露呈です。サッカー競技では会場に「安重根」の肖像画を掲げるなど「田舎の分からず屋」丸出しの応援団、更には「メダル」受け取り拒否のインド選手、これも韓国選手との試合判定に怒った「パホーマンス」だったようです。
 こんなことで本当に冬季オリンピックは開催できるだろうか、些か心配になりました。
 途中ですが、今また「台風の勢い」は増してきました。
 そこに「本日の県議会の開会時間は午后2時」との連絡が議会事務局から入りました。

2014/10/06

片隅から「おめでとう」申し上げます

今日、高円宮妃久子様の次女典子さんが出雲大社で結婚式を挙げられます。
 本来、われわれ庶民に殆ど関りない出来事ですが、各種報道機関に取り上げられているので、特段コラムの材料のない今日敢えて、我々庶民階級に縁遠い世界ではありますが、思い出に触れておきます。
 20年ほど前になりますか、東京駅に隣接する大丸デパートの最上階で、ある著名画家の美術展が開催されておりました。その日、市長としての業務で東京に出ましたが、約束時間に間があることから、「一寸覗いてみよう」と同行秘書とエレベーターに乗って最上階にあるギャラリーに出向きました。
 沢山の見学者が所狭しと集う中、ふと見れば、或る一角だけが空間になり、その周辺には沢山の警察官が取り巻いているのでした。瞬間、「賓客」の護衛と理解した私は入り口付近に立ってその「賓客」の通りすぎるのを待ちました。
 暫くしてその賓客が私達の前を通り過ぎるとき、頭を下げつつ、私は一言「静岡です」と口走ったのでした。
 妃殿下はその私の小声に、瞬時に反応するや「あら・・・」と口走り、「しまった」と思ったでしょう、次の瞬間、口をふさいで低頭したまま、足早に別室に足を運ばれたのでした。
 高円宮ご夫妻とは市長在任中、2度ほど親しく会話しております。最初の出会いは、「芹沢銈介美術館」での説明役、無責任な選考と思いつつ、笑顔の中でひと時を過ごされ、それから半年後「常葉短大の音楽会」に来賓としてお迎えした際にも、グランドホテル中島屋では冗談を交えてお言葉を交わしましたが、恐らく上品で慇懃な言葉を使わない私に、心置きなく話せたのかもしれません。

2014/10/05

「大坂」を「大阪」と変えた目的は果たして。

明治新政府となって、都(みやこ)は京都から江戸(東京)に「遷都」される処になり、その結果、東京都が生まれました。 当然のことながら、これに伴い国の各種機関も東京に置かれるところとなりました。
 その一方的な流れに「クレーム」を付けたのは「大坂の経済人」、その時代、経済の基は大坂にありました。それ故、大坂商人たちは何としても「大蔵省」だけは大坂に置くべきと主張、政府に激しく迫りましたが、国の機関の全てが東京に集中させる状況下にあって、大蔵省だけが「大坂」に残る事は道理に合わないとの声に、結局「大蔵省」も日銀本店も全て東京に移動したのでした。
 千載一遇の好機と考えた大坂経済人は、敗れた原因について論議する中で、「大坂」の漢字に目をつけました。
 『大坂』の「坂」を分解すれば「土に反る」となり、いくら努力しても「元の木阿弥」、そこで彼らが思いついた漢字が「阪」、こうして『大阪』に変更し、今日に至ったのでした。明治になって地名を変更した街、表記を替えた街、替えさせられた街など少なくなく、その理由は中々に面白いものがあります。暇があれば同様の「地名変更」について記載してみます。
大阪維新の会の「苦悩」を新聞で見ながら、明治維新のころと同様に、大坂人はご苦労なさっていると思いつつ、今日のコラムを書いていたいた処、こんなところに不時着してしまいました。

2014/10/04

「河野談話の見直し求める意見書」が鹿児島で。

鹿児島県議会では「表記の意見書」が、只今、開催されている9月議会において採択されると今朝の新聞に報じられています。
 おそらく、このニュースを知れば、静岡県議会の自民党関係者は臍(ほぞ)をかむ思いを禁じえないでしょう。
 本県議会では提案される「意見書」について、「満場一致の賛成」が原則であって、一人でも反対すれば意見書の提出はできない仕組みになっているのです。そしてこの原則は長い間、疑問も起らず経過してきたのです。
 例えば、私は以前、「「国旗」に対する損傷」を刑法に加えるべきとの意見を党に提案したところ、各党代表者会議においてこれに反対する意見があり、結局、上程されないままに葬られたことがありました。
 「全員賛成が原則」という代表者会議の原則は明らかに誤りであって、かつて私が読んだ西洋の政治哲学の中に「全員賛成」はあってはならない法則と以前読んだことがありました、誰もが賛成ならその時点で対処しているはず、それを提案、審議することこそ無駄な労苦。
 今回の鹿児島発の「河野談話、見直し意見書」はわが静岡県議会にも意見書のあるべき方向お共に「全員賛成が原則」という原理原則について、改めて考えさせる機会になるものと考えます。

2014/10/02

再生可能エネルギーの電力、買取りの見直し

実は門外漢の私ですら、再生エネルギーの高価買取にはその当初より疑問を抱いておりました。
 凡そ4半世紀前、南沼上に焼却炉を建設した際、生まれる高熱エネルギーから生まれる電力を、中部電力に買い取ってもらいましたが、時に「1キロワット、8円」とのこと、その頃の市民の使用料金は24円でしたから、「何故、そんなに安いのか」と担当職員に質した処、「焼却炉から生まれる電力は〝一定しない”、即ち品質としては不良、それ故に「買取価格も低い」と聞いていました。
 ですから、「反原発」の動きに弱気になった電力会社がこの再生エネルギーの買取には媚諂(こびへつら)いもあってか、高額な買い取りを提示した時、素人の私ですら「そんな莫迦な」の思いが先だったところです。
 処で、県政としても県民に「太陽光発電」を推進してきた手前、どうするでしょう。

2014/10/01

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