静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2014年09月

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「泰山鳴動」すれば事件となる。

「泰山鳴動鼠1匹」の諺とは大違いでした。
 勿論「火山噴火」にも「規模」の違いはありましょうが、屡々、テレビ画面に見る噴火の模様の代表例は「鹿児島の桜島」ですから、「厄介者」だけで殆ど危険の兆候は意識しませんでした。ですから「御嶽山」が爆発したとの第一報を知っても登山者すら、「またか・・・」の感覚が脳裡を占めていたことでしょう。
 それから後、私たちもテレビ画面を通じ、「途轍もない災害」と知ったところでした。
 昨晩の「火山噴火予知連絡会」の説明の中では、11日にも火山性地震が多発していた事は承知していたが、「今回程度の規模では予知できない」と、藤井会長は平然とご意見を述べていたのでした。若しかすると地震予知連絡会もこんな程度ではと、疑ってしまいます。
 一方、土井たか子女史が85歳をもって逝去されました。私の意識では「問題おばさん」ですが、心からご冥福をお祈りします。
 できれば「山が動く」と、数日早く教えてくれれば有難かったのですが・・・本当に御嶽山は鳴動していたのでした。

2014/09/29

御嶽山の噴火に心配しつつも、これから学区の運動会。

それにしても、御嶽山の噴火は驚きです。同時に狭い日本ながら、何処にも夢想もしない「天災」が起きることの証明でもありました。
 昨日は9月の最後の「土日」を移用した登山日和であったはずですが、運悪く予知できない天災に遭遇した方々に、心からのお見舞い申し上げます。
 さて、本日は地元横内学区の運動会、とは言え、昔に比べれば参加者の何と希薄な連帯感、来月に予定される敬老会も、同様に出席者の少ない企画です。
 「隣近所」の認知こそ防災の要と云いながら、残念ながら「隣は何をする人ぞ」が実態です。そんな社会に本日の運動会は小さな抵抗をもって、開催されます。
 そこで本日はこれにて失礼致します。

2014/09/28

その後の「富士山(ふじやま)三保子」の安否について

「青い目をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイド・・・」と小学唱歌で唄われたそのお人形は、昭和2年、日米親善の大役をになって、12000体の人形が横浜港に到着、そこから全国の小学校や幼稚園に配付されていったのでした。
 時に渋沢栄一翁の提唱により子供たちの「1人・1銭」の寄付金をもって、アメリカに答礼人形が贈られ処となったのでした。例えば本県の場合、タイトルの通り、ミス静岡・「富士山三保子」でした。
 しかし、それから十数年後、日米間には暗雲が覆い、昭和16年末には開戦という不幸な時代に突入するのでした。
 その結果、友好の証として贈られた「青い目の人形」は悲惨な運命を辿るところとなったのでした。敵軍の人形として、火をつけられたり、ごみ箱に投げ捨てられたり、こうして現在確認される「青い目の人形」は全国で200余り、本県では私が調べたところで僅かに4体あるのみ、その一つを仲間の県会議員・富士市選出の遠藤議員が市内の図書館に保存されたいたセルロイドのお人形の写真を撮ってきてくれました。
 また、「富士山三保子」については昨日、県庁内の「地域外交課」からの電話があり、ミズリー州の「カンザスシティ博物館」に確かに保存されている旨の連絡がありました。
 こうして、日米市民共通の「平和の願い」は不幸にして「軍部の狂瀾劇」によって消滅しましたが、今日でも人々の平和を願う心は未来永劫に生き続けていくことでしょう。

2014/09/27

「平昌」冬季オリンピックの開催が不能?

仁川アジア大会に対する日本人のフラストレーションについては、敢えて記載しませんが、2018年の「平昌」冬季オリンピックの開催がここに来て、「本当に開催できるのか」など極めて怪しい報道が続きます。
 「開催できないのでは」との根拠の第一は、十分な「雪」がないことです。
 確かに平昌(ぴよんちゃん)の降雪量は以前から充分でないことは決定以前から云われていた事ですが、「降雪機」をもって対応すれば何とかなると考えておりました。
 本市の井川スキー場に比べれば、遥かに平昌は北側に位置し、国の力をもってすれば、他愛いないと考えていましたが、当然のことながら、「オリンピック」となれば容易でない課題が山積され、選手宿舎の建設など各種施設の建設、ソウルからの「アクセス」など多額な予算を必要とする事業が山積しており、一方、韓国経済はここにきて暗雲が巻き起こってきたのです。
 一言で云うなら、「冬季オリンピック」など開催している状況ではないとの声が「内外」から起きてきたのでした。どうする韓国・・・・。
 

2014/09/26

「ダイエー」の消える日

遂に「ダイエー」の名が消滅しました。幼い頃、「主婦の店」の名で大阪にデビュー、瞬く間に日本の日用品業界を制覇、社長・中内功の名前は業界の神様に祭り上げられていきました。
 私がその中内会長に東京本社でお目に掛かった時は、既に企業としては峠を越し、更には日本経済も、「バブル崩壊」の前触れを感じ始めた頃でした。
 当時、私は静岡市長として、屡々(しばしば)、誇大で妄想とも評される計画を脳裡に描いていました。
 そんな中でも市内大谷にある40万坪に及ぶ「市街化調整区域」の利用方については、地区住民の長年の夢でも心動かされる案件でした。
 ある日、たまたま手にした週刊誌のグラビアに「福岡ダイエーホークス」のホーム球場が全天候型に模様替え、更には球場横には新築なった豪華ホテルが「花吹雪」の中に輝く写真が掲載されていました。
 その瞬間、私の脳裡に「ダイエー」こそ救世主の思いが浮かび上がったのでした。
 早速、私はダイエー東京本社に電話を入れ、中内会長との面談を申し込みました。
 平成6年の「建国記念の日」の午後、私は秘書課の職員一人を伴って、中内会長以下、役員と私の「誇大妄想」に近い企画提案に協力を申し入れたのでした。
 「途轍もない構想だが・・・」、既に黄昏(たそがれ)ダイエーにとって、ロサンゼルスにある「ユニバーサル・スタジオ」との共同事業は、所詮、及ばなかった処でしょう。
 結局、ダイエー側としての「快報」も聞かずして、その年の7月をもって、私は市長を辞任したのでした。

2014/09/25

急ぎ過ぎてはいませんか…日本人

昨日の産経新聞に「列島を半分に縮めた」とのタイトルで、新幹線からリニアへの「革新の半世紀」を材料に我が国の科学の進歩を掲載しておりました。
 確かに昭和39年の新幹線の誕生以来、東海道線だけでなく日本全土に幹線網は延長され、人々の往来は断然、便利になってきました。
 しかし、車もそうですが「便利さ」と、享受できる「豊かさ」は果たして正比例しているでしょうか?
 殊に間もなく着工される「リニア新幹線」に対して、私は以前より疑問を抱いております。
 「狭い日本、そんなに急いで何処に行く」という皮肉ったフレーズが流行したことがありましたが、将に私たちが今一度、反芻すべきテーマではないでしょうか。
 リニア新幹線は実に、時速500キロで、その目標は2045年には「東名阪」を67分で結ぶことにあるという。
 一方、最低10兆円という建設費の殆どは今後、「JR東海」の利用者に振り向けられると考えられます。即ち、殆ど利用できない静岡県民に少なからず、その建設費用は割り当てられることになります。
 狭隘な日本で活躍するより、時速500キロなら「ロスーサンフランシスコ、ロスーラスベガス」などアメリカ大陸には絶好の候補地が沢山あります。
 実験を終えたなら、さっさと諸外国への売り込みに出かけては如何でしょう。

2014/09/24

結成された「維新の党」の前途は・・・。

昨日、「日本維新の会」と「結いの党」が合併して新党「維新の会」を旗揚げしました。処がこの時点で、既に両党の基本政治姿勢に大きな隔たりがあり、乖離した政治姿勢に私は疑問を覚えずにはいられません。
 結党大会での二人の言葉、橋下氏は「安倍政権に緊張感を持ってもらうためにも、きちんとした野党が必要」と叫べば、一方、江田氏は「民主党やみんなの党など政策の一致点を見出して、糾合しなければ安倍政権に対抗できない」という。言葉通り二人の代表の心には、「安倍内閣に対する理解」に根本的差異があり、これが元に、遠からず分裂する運命にあると私は推測します。
 何といっても我儘勝手なお二人です。圧倒的自民勢力の中で、その「存在感」は愈々、薄れゆく時、昔から「蟷螂(とうろう)の斧」の言葉もありますから、勿論、未遂に終わること覚悟の上で「こぶし」を突き上げたと理解します。しかし・・・・
 さしたる準備も決意もなく、実行したこの度の「旗揚げ」の前途には幾層もの「暗雲」が立ち込めるばかりです。これからも「外部の者」としてじっくり見物させて頂きます。

2014/09/22

「安西学区」の敬老会

今日は安西学区の敬老会に招待を頂いていますので出席します。おそらく今日あたりは全国各地で敬老行事が行われていることと存じます。
 さて、初めて私が地元の敬老行事に招待頂いたのは昭和42年、市議に初当選した時のことでしたが、記憶にあることはその年の日本人の平均寿命が「67歳」でした。この頃はまだ新生児の死亡も多く、今では考えられない低年齢寿命でした。ですから「米寿」を迎えた敬老者に「敬老会の席」で、初めてお目に掛かったのはそれから5~6年のちでした。
 私の高校時代、京マチ子主演の映画「48歳の抵抗」の宣伝ポスターは、思春期に入った私の脳裡に艶めかしく映るとともに、「男も50まで」かと勝手に連想しておりました。
 ですから、市議になった頃も精々「60歳」までと考えておりましたが、既に72歳、そのうえ、来春の県議選では、支部の公認が決定しております。
 本当にいい加減であり、日本人の「寿命」の延びにも驚きです。
 

2014/09/21

「スコットランド」の結果は良かったと考えます。

英政府にとって、最大の危機にあったこの度の住民投票の結果、「スコットランド残留」を採択して、一段落しました。
 正直、万一これが可決されるという事態になれば、単に英国に留まらず、世界各国で同様な分離独立運動が勃発することを心配しておりました。
 殊に近年では、日本の場合も、一層の中央集権が進み、地方との格差が愈々、歴然となっております。その流れが「地方」に不信感を生み、住民には猜疑心が蓄積されるのです。
 しかし、この度のスコットランドの独立運動は、恐らくセンチメンタルな思いの中で蓄積した「感情論」に思えるのです。何故なら、独立に伴う弊害や問題点を十分に咀嚼しないまま、独立後の「バラ色」の夢を描きすぎての運動ではなかったのではないでしょうか。
 単に英国だけの問題ではありませんから、先ずはひとまず安堵しました。

2014/09/20

発見された「富士山三保子」のその後

さて、10日ほど前、訪ねた足久保の老夫婦から、前触れもなく〝断(た)っての願い”と依頼された案件が昭和初年、日米友好の象徴として、アメリカから1万余の「青い目の人形」が贈られ、その答礼として、日本から50余の豪華な「市松人形」が贈られたのでした。
 その介添え役は彼の渋沢栄一翁と云われておりますが、47都道府県から、更には時代でしょう、ミス沖縄、ミス台湾、ミス朝鮮、ミス樺太、更にはミス大日本・倭日出子(それぞれにパスポートを持たせ)と命名された人形57体が横浜からアメリカに、更に各州に贈られていったのでした。
 しかし、この日米の友好の証は効を奏さず、不幸にもそれから10余年後、日米戦争に突入するところとなったのでした。
 こうしたことから、日本国内でもいつの間にか友好の使者「青い目の人形」は民衆の暴力によって、次々に破壊され、塵芥と化していきました。おそらくアメリカにおいても同様の不幸にあった日本人形も少なくなかったと存じます。
 こうした歴史的秘話を持つミス静岡・「富士山三保子(ふじやまみほこ)」の存在は、しかし、殆ど忘れ去られていたのでしたが、冒頭、ご紹介した丹羽ご夫妻にとって、「ミス静岡」常に脳裡から消え去ることのない「テーマ」でした。お二人は教員として働き、退職後は地域の公民館で子供たちに人形芝居や紙芝居など見せ、本当の教育者でした。ですから、依頼された私は万策をもって、挑戦した結果、ミズーリ州の博物館に現存していることが判りました。
 そこで次に考えることは「盛大な里帰り」を企画することと考えております。ご協力を!

2014/09/19

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