静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2013年08月

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朝刊から、高台移転の必要性は?

 沼津の内浦地区は海岸に面し、津波の発生時には、駿河湾の扇状の地形から、煽(あお)られた波の行くつき先と以前から指摘されておりました。ですから、当該地は駿河湾沿いで最も心配される地区でしょうが、正直云って私には、最近の地震対策はただ、市民を恫喝しているだけに思えるのです。
 実際、県行政にあっても、云われる処の災害危険地区に対し、何処までの対処が可能でしょうか。更に本市の大谷地区を見る迄もなく、高台に移転した人々が年とって、生活困難の理由でここを捨て、平地に、マンションに、と移転していく姿は参考にすべき生活設計と思います。
 ご存知の「明日起きても不思議ではない」と県民を脅かしたあの駿河湾沖地震も2兆円の県費とそれを上回る市町村の対策費を思うにつけ、一体あの時の『慌てよう』は何だったろうか、今更ながら、考えさせられるのでした。
 南海トラフ地震特別措置法という厳(いか)めしい法案のもとで、今、地方自治体は疑心暗鬼の中で、どの様な対処を為すべきか戸惑っている処でしょう。
 各地で津波避難対策を講じてはおりますが、恐らく「火の見櫓」程度の意義しかないでしょう。
 「島国」での危険性を無視する訳ではありません。しかし、私の以前からの疑問、「登呂遺跡の丸太舟や家屋の破片、農業用の下駄など、津波があれば存在しなかったはず」に対する回答は未だありません。「杞憂」と考えて、私は無視します。

2013/08/20

韓国は何時からそんなに絞くなったの?

 それでは「泣く子と地頭には勝てない」の譬え通りの結論になるのでしょうか。
 新聞によれば、新日鉄住金では、太平洋戦争当時に徴用され、強制労働を強いられた4人の韓国人に対し、間もなく迎える韓国最高裁判所の判決で、敗訴が確定した折には、請求通り4億ウオン(3500万円)を支払うことにしたとあります。
 この裁判の経緯を大掴みに紹介すれば、韓国の元徴用工が「新日鉄住金」を相手にソウル地裁に提訴したのが05年2月、しかし、一・二審では原告側の敗訴となったものの、韓国の最高裁判所は65年の日韓請求権協定では、「個人の請求権」は消滅していないと判断し、高等裁判所に差し戻したのでした。こうして韓国側一辺倒の「賠償問題」は当初の決定とは思いもかけない方向に転化していったのでした。 
 しかし、「慰安婦」問題も同様ですが、この韓国側の対処方は明らかに「当て擦り」だと私には思えるのであります。
 思えば以前は「仲のいい友人」だったと考えます。
 こんな記事を見るにつけ、寂しく思うのは私だけではないでしょう。

2013/08/19

「モンゴル」の旅は終わった。

このコラムも昨日の帰国をもって、「復活」致しました、これからもよろしく。
 広大にして、不毛な「ゴビ砂漠」、そこに900年前、恰も「風神」の如く誕生したジンギスカンは瞬く間にアジアから地中海に至る広大な面積を掌中にしたのでした。
 その首都ウランバートルから南へ450㌔mの位置に、人口僅か7万の「ドルノゴビ」県があります。
 このドルノゴビとの友好提携2周年を記念しての大訪問団に、私は両県友好協会の一役員としての自主的参加でありました。
 今回の訪問団は本県の経済界、医療従事者、そして30名の高校生など、一大デレゲーションの訪問でしたが、夜ともなれば真横に星の輝きを見、“ミルキ―ウエイ”と呼ばれる「天の川」を仰ぎ、更には無限に広がる大平原を遠望しながら、参加者の中には「何がための友好提携か」疑問に思った方も少なくはなかっただろうと想像致しました。確かに経済を始め、社会環境の差異は一目瞭然、漸く沿道に開けた「マンホール」に住む子供を見なくなった未開発国家であれば、「友好都市」の提携に疑問を呈する方も少なくはありませんでした。
 処で、その未開発国モンゴルも、周辺国の経済環境の低迷に引きらずられて、暗雲が立ちこめだしたと云われております。成程、周辺国の殆んどが経済的問題児です。モンゴルが、眠る貴重な資源を「栄養剤」として再生するにも、港もない国家であれば如何ともし難い現況と云わざるを得ません。

2013/08/18

「関西で震度7」の驚きの緊急連絡

 先程、携帯電話がこれまで聞いた事のない特殊音で鳴り響きました。初めて聞く音色、しかし明らかに嬉しくない知らせと理解しました。開いてみれば奈良方面で大地震の発生を予告するものでした。
 しかし、私は何処までも「鈍」、驚きは数秒で失せ、再びパソコンに向ったのでした。
 一方、家内は自宅にいて、風邪をこじらした孫が、2階で寝ていると連想するや、足の痛さも忘れて「す飛んで」上がったそうです。
 さて、真相は和歌山方面の震度1の地震を見誤ったようです。でも家内の様に驚いた人は決して少なくはなかったでしょう。でも怒ってはいけません。
 処で、私は明日から「モンゴル」に出掛けます、帰宅は17日になりますので、「しつこいコラム」が暫くお休みになります。

2013/08/08

富士市に火力発電所

 昨日の夕刊に「日本製紙富士工場内に火力発電所」を建設するとありました。その記事を見た時、私の脳裡に走馬灯のように20年余前の悲しき思い出が蘇ったのでした。
 時はバブルの絶頂期、その将来を予測すれば電力需要は限りないものと誰もが考えておりました。
 そんな折、中部電力は清水市三保に「石炭火力発電所」を計画、そこで静岡市を始め地元清水市、由比、蒲原等の自治体は認可責任を持つ静岡県より夫々独自の公害調査を義務づけられたのでした。
 時に静岡市長であった私は無駄な調査と確信しながらも、「裸の王様」からの厳命であれば、仕方なく民間調査会社に「公害」の可能性などを依頼したのでした。
 所が、その調査報告が出る前に、県議会本会議において、「火力発電」について質した答弁で、何と「玄関前にかまどを作るようなもの」という極めて不見識な答弁と共に、発電所構想はご破算に帰したのであります。これに関係した市町長はまさに「怒髪(どはつ)天を衝く」の思いと同時に「泣く子と地頭には勝てない」の哲学を学んだのでした。 オキシダントなどの公害の心配はないと云われつつも、真剣に対応している最中の「知事の権謀」は今なお、我が脳裡からは払拭されません。
 今度は「富士市」です。三保が玄関なら、富士市は奥の間に当ります。そこに「かまど」がしつらえることになりました。さあーどうする・・・・。
 

2013/08/08

昨日、小さいながら嬉しい事が・・・。

 昨日の朝7時ごろでしょうか、食事を済ませて、向え側にある私の事務所に行こうとして玄関を開けた時、急に雨が激しくなってきました。僅か30mもない距離、傘も要らないだろうと思ったが、横にあった傘立てに“コンビニの一寸高級なビニールの傘”に気付き、これを差して道路に出た、その時、目一杯、雨に包まれた見知らぬ4~50歳のお父さんが歩いていた。事務所横で、「この傘、ご利用下さい。帰りにこの辺りに置いといてくば・・・。」
 一寸、遠慮していましたが、「それでは・・・」と云って透明のコウモリ傘を差して消えていきました。
 夕食時、玄関が開いて“今晩は”の声に、そこに立っていたのは「傘のご仁」でした。「本当に有難うございました」と云いながらビニール袋に入った2個の上等の梨を差し出す。
 「ありがとうございました。お陰で今日一日が本当に嬉しい思いで過ごしました」と云って玄関の戸を閉めて、雨も止んだ夜空に帰って行きました。
 今朝、出がけに綺麗に畳められたビニールの傘が私の目に入って来ました。

2013/08/07

「ヒロシマ」と書けば「原爆」を連想、そして・・・。

 そして、全国各地で「反原発」の運動が、か細く続けられるのでした。
 今朝の静岡新聞にも焼津の「ビキニデ―実行委員会」が小学生を集めて「平和学講座」を開いたと報じています。講師陣は夙に有名な反戦グループでした。
 勿論、その行為を非難するものではありませんが、全く無色透明な小学生を対象に、「硬直した反戦教育」は如何なものでしょう。
 これまでにも「第5福竜丸」事件は「時代の屈折」の中で、極めて感傷的に取り上げられ、「反核」の主要な材料として論じられてきました。
 しかし、例えば第5福竜丸の乗務員23名のうち、お元気にお過ごしの方は9名(昨年時点)おられます。20歳で乗務したとしても既に80歳、船長は90過ぎてもなお矍鑠(かくしゃく)、亡くなった久保山愛吉さんの病名もまた急性肝炎であったこと、なぜ伏せるのでしょうか。

2013/08/06

既に「12年」が経ちました。ボストンの思い出。

 これから静岡県立総合病院へ「定期健診」のために出掛けます。そう、今日は材料が見当たりませんので、2ヶ月に1度の「血液サラサラ錠」を貰うための定期検診について記載します。
 思えば、私は本当に「ラッキー」に巡り合わせて生きてきたと思わずにいられません。
 その際の北米視察の日程は殆ど私が決めさせて頂きました。何と云っても「ボストン」には以前から見地したい「焼却炉」があり、そこをスタートの10日間の視察日程でしたが、まさかその最初の訪問地・ボストンで「心筋梗塞」になろうとは・・・。
 振り返って考えるに成田に前泊する時から元気がありませんでした、「焼却炉」の視察の際にも体全体が「腑抜け」ていたと後になって気付きました。
 しかし、ここからが「ラッキー」でした。救急車で運び込まれた「ベス・イスラエル病院」はアメリカでも最右翼に数えられる施設であり、施術は世界を駆け巡って活躍する著名な医者によるものでした。
 幸い議会の視察ですから、保険は担保されといましたから、民間救急車がここに運んでくれたのです。恐らく1000万円近くの医療費だったと思いますが、爾来、今日まで12年間、一度も施術後の違和感もなく平和に過ごしております。

2013/08/05

「今度はこっそり行きます」辛坊治郎

 何時ものように「Yahoo!ニュース」を見ている中に、例の辛坊治郎さんが『再チャレンジは「こっそり行きます」』のタイトルで次回の挑戦は「こっそり」お出掛けするとのこと、ほとほと阿呆らしき発言と云わざるを得ません。
 辛坊氏と云えば、「マスコミ界の寵児」を自認し、譬え相手がだれであろうと、遠慮会釈なく持論を展開、その言葉の巧みさを以って売っていた御仁でした。
 6月の初め、太平洋横断を身障者と二人で試み、出発して間もなく座礁、その時の気象状況は雨、波高は3~4m、風速は16mという悪天候のなかでした。救助に臨んだ海上自衛隊の飛行艇もまさに「命がけ」の活動によって、漸く辛坊氏らは救助されたのでした。
 曰く辛坊氏、「どの面下げて『もう一度やりたい』と言えようか」の言葉は、僅か2ヶ月の後には「今度はこっそり行きます」に代わっていました。
 救助費用の凡そ1000万円は結局、国が面倒みることになりましたが、この辛坊氏の不合理な言葉に辛抱できる方は少ないでしょう。
 願わくば、今後テレビ画面から消えて戴きたいと私は思いますが如何でしょう。

2013/08/04

早速送られた「毎日新聞」の社説。

 昨日の私のコラムを読んで早速、友人からその日の毎日新聞の社説がFAXされて来ました。勿論、私のコラムとは次元の異なる毎日新聞社の「個人的見解」と理解しますが、お陰で今日のコラムのテーマがその時点で決まりました。
 これまでも私は報道の意向如何に囚われず、自己の考えをこのコラムに書き綴ってきました。ですから、後に世評とは違(たが)いする突飛な意見になる場合もあったとは思いますが、本日も主張は主張として素直に述べて参ります。
 さて、この社説に感じた事、それは日本の報道関係者の典型的な「読者への媚び』と見ました。
 その時の麻生氏の「云わんとする所」を敢えて隠蔽し、しかも外国の組織に阿(おもね)るように、配信する日本の一部ジャーナリストの姿勢には、些か残念でなりません、しかも、その結果が日本を代表する毎日新聞の社説に現れたこと、愕然とするところであります。勿論、麻生氏の周辺には、言葉尻を探し求める悲しき人々が沢山います、その点些か不用心過ぎると思いますが。
 さて、日本の総理大臣が、あのケネディ大統領の就任演説「国家があなた方に何をしてくれるかを問うのではなく、あなた方が国家に何が出来るのかを問うて欲しい」と同様の高度の政治哲学を述べたとしたら、残念ながら、それは「無責任」の代表的言葉として日本の歴史に刻まれることになるだろうと私は思います。

2013/08/03

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