静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2013年03月

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「憲法改正」に求められる理由

 今朝の静岡新聞の社説「憲法改正」に、私は二つの疑問符をつけさせて頂きました。
 一つは日頃の静岡新聞の論調とかけ離れ、些か似つかわしくない点であり、今一つは論文の中に「改正反対」の雰囲気が如実に現れている点であります。その辺の詮索はさておき、「憲法改正」を論ずるに当って、社説氏は先ず『96条』を主題とすることは「誤り」であると指摘しています。即ち「9条の改憲」を容易にさせるために「96条の改正」ありきは誤りだと主張している点であります。
 さて、戦後の60年余、「憲法改正」がテーマとなった全ての場面で国民的テーマになったのは、憲法「9条」の存廃についてでした。例えば生活保護などの社会保障問題はその都度行政が対応し、同じ憲法下にあっても、昭和20年代の保護政策と比べれば雲泥の開きを見る処でありますが、これも憲法で云う最低生活の判断が創りだしたものと解釈するのです。
 ところが、安全保障は如何でしょう、「9条」は30年代の安保条約時代から幾度も「改正論議」されて来ましたが、政治家の狡さに、今なお同じ条項の中で処理しているのです。
 時代の要求として「9条」の改正は待ったなしでしょう。ご案内のように、我が国の軍備力は警察予備隊時代から「違憲」と云われてきました。 
 誰が見ても憲法9条に照らして現在の自衛隊が正しいとは言えないでしょう。
 即ち「96条」の改正は新憲法への導入口と理解できるのであります。

2013/03/21

それは恰も「杞の国」の人々の心配ごと。

 勿論、周の時代(紀元前後)、杞の国の人々にとって、太陽や月、星が、いつ何時「天上」からこぼれ落ちて来るのではないかと気が気ではなかったとの事、私達はその事を「杞憂」と云う漢字で表し“無用な心配事に悩む”ことを表現しております。
 今朝、全国津々浦々に配達された朝刊の1面は「南海トラフ地震」の被害総額「220兆円」がそのトップに踊っていることでしょう。即ち、内閣府のM9・1クラスの南海トラフ巨大地震が発生した場合、推定されるの経済的被害額の数値であります。
 ご案内のように、2003年度、政府が積算した被害額は、M8・7で81兆円でしたが、1昨年の東日本大震災から新たに想定して2・7倍に膨らませたとの事であります。
 これまで私はこのページで幾度か「内閣府の暴挙」を非難してきました。一言で云えば人を恫喝するにも大概にせよ、40年前、「明日起きても不思議でない駿河湾沖地震」を提言され、これによって静岡県は実に2兆円の出費を強いられてきたのであります。因みに2兆円の借金返済は元利含めて1日4億8000万、休みなく本県は返済し続けております。
 今回の内閣府の想定も、結果として「杞の国」の人々と同様の心配事を政府自ら国民に押し付けたと私には思えるのです。何故なら今回、内閣府がこの「想定」を公表するに当って、敢えて「巨大地震の発生は1千年に一度、或いはもっと低い頻度」と併記している通り、数千年に一度、即ち限りある人類の歴史の中に一度、あるやなしやの顕微鏡的確率の地球物理学と云えるでしょう。

2013/03/19

「天下の公器」と自負するならもう少し細かな神経を。

 静岡市議会の選挙が告示された昨日の「大自在」に所謂「キャッチコピー」の意義について触れられておりました。
 その中で、社会批判の優れた比喩として「真っすぐなキュウリ」をテーマに触れられていました。確かに、「非凡なコピーライター」と当時、市長であった私の脳裡にも深く刻まれ、その言葉は主婦の間でも話の材料となっていたと、記憶しております。
 処が今朝、何気なく静岡新聞を開くと、数人の候補者の広告が並んでおり、その中に「真っすぐなキュウリ」の当事者が掲載されているのでした。幸い「キューリ」の言葉は卒業してか、宣伝文句には一言も掲載されていませんから幸いでしたが、こうした原稿は市政記者にも事前に検証して貰う必要もあると感じた次第です。
 
 

2013/03/17

地球の歴史はやたら長い。

 宇宙誕生から130億年、地球が誕生してから46億年、どうしてこんな事が解るのか不思議です。
それはさて置き、人間は何時頃誕生したでしょうか、映画・テレビでは恐竜と戦う古代人が出てくることはありますが、「あり得ない」。
そこで「人類の存在」を1年の尺度で表すと極めて判り易いと思い暇にまかせて以下掲載してみましょう。
 そこで仮に地球誕生から今日を1年と考え、地球の誕生日を1月1日午前0時00分とするとその後の歴史が一目瞭然に理解出来ます。
 大気中に酸素が供給されたのが7月頃です、10月になって生物の多様化が始まり、11月20日頃、確認できる最初の生物「三葉虫」が誕生しました。
 アンモナイトは11月の終り頃、驚くべきは「ゴキブリ」の出現は12月7日、更に恐竜の全盛期は12月23日に始まるも、4日後の隕石の落下により生物は絶滅しました。
 人類の誕生は「20万年前」と云うから時は大晦日の午後11時37分、序に書き足すと日本が大陸から完全に離れ、朝鮮半島との間に「日本海」が誕生したのは13000年前、即ち午後11時58分51秒です。
 人生100年とは言いますが地球的尺度でいうと僅か0・68秒になります。
  
 このコラムは13日に書きながら不図した誤りから、本文は消えていましたので、先程気付き、書き食えました。

2013/03/16

風邪の為、連休しました。

 病院の検査結果は案の定『インフルエンザ』の言葉でした。市議選が告示されたその日の医者の宣託であれば、仕方なく昼間からベッドにもぐりこんでいました。
 今朝の体温計は7度少々を提示、「マア良いか」と、早速、事務所に来てコラムを検索すれば、昨日の市議選告示が影響したのか、500件近いアクセスがありました。
  
 処で一寸遅い内容ですが、13日の衆院予算員会で「日本維新の会」の西田譲議員が「低線量セシウムは人体に無害」と持ち前の自説を展開、物議を醸したとのことです。
 正直云って私には原発事故対応に絡む政府・自治体などの姿勢に些か問題はありはしないかと感じてきました。例えば今回提示された「低線量セシウム」についても有害とする量的根拠は示されず、何故か門外漢の私達ですら「除染業界や学者連」に行政がコントロールされているようにおもえるのです。
 海底に棲む魚の体から何千倍もの数値が計測されたそうですが、その魚は何故元気なのでしょう?一言も説明はありません。そしてこうした「危険」の言葉の流布がかえって他都市に非難した人々の「帰郷」を阻害していると私には思えてなりません。東日本大震災から既に2年、疎開した人々にとって、そこは新たな「故郷」になって参ります。

2013/03/16

「病膏肓に入る」とは朝日新聞の論調

 最近、新聞の見出しなど極めてヒステリックな表現を多用するのは、「売らんかな」の一手法でしょう。殊に最近の週刊誌の広告は「騙し」の世界です。
 さて、昨日は3・11。新聞、テレビは大震災関連ニュース一辺倒でしたが、その中でも朝日新聞の記事には些か反吐(へど)の出る思いで読んだのでした。先ずは「天声人語」、その冒頭に「底魚(そこうお)達の悲しみ」の書き出しで「海底に棲み着く魚は、環境に身を任すしかない。水が汚れ、海が死んだら事切れる」と、その後も全原発の停止を目ざした民主党の方針を覆し、安倍政権は再稼働に前のめりだと批判した上で、『安全より経済』を尊重し、政府の審議会からは「脱原発派」を次々と外した、と『赤旗』と見間違う程の論調である。
 三面記事に目を転ずれば、東京明治公園での「サヨナラ原発」の記事、写真には共産党員・大江健三郎の演説姿と明治公園での15000人の集会写真、しかし待てよ、写真からはどう計っても「5000人」は居ません。若し主催者発表ならその旨を記載するが常道とは思いますが。
 「社会批判」が新聞の役割とはいえ、こんな偏った記事を相変わらず掲載する朝日新聞が「日本の三大新聞」とは恥ずかしいの限りです。
 思えば、その昔、在日朝鮮人に『北鮮はユートピア』と宣伝、多くの関係者に塗炭の苦しみを与えた過去の報道の歴史に立ち帰って、新聞は「公器」である事を今一度思い返して頂きたいと社会の片隅から願っております。

2013/03/12

「勿忘草」が咲く日、3・11を迎えました。

 「forget-me-not」ムラサキ科の多年草、明治時代に渡来したこの花の名前を日本人は「勿忘草(わすれなぐさ)」と翻訳しました。春から夏にかけて小さな花をつけますが
、それは寧ろ寂しい花と云えるでしょう。
 3月11日は日本人にとって、思い返すも慟哭の思い出となって未来永劫続くものでしょう。
 その日、私は間近に県議会選挙を控え、家内と近くの郵便局に出掛けておりました。
 局長さんと何気なく雑談する内、誰かが「アレ・・地震?」とつぶやくと間もなく、大きな揺れに誰もが恐怖心を覚えたのでした。私は様子を見ようと道路に出れば、電線が大きく波打っているのでした。揺れの時間から察して、震源地はかなり遠いだろうと想像しながら、事務所に戻ったその時、再び同様の揺れに見舞われたのでした。
 しかし、まさか、伴っての津波から2万人近い人々の命を失うとは夢想だにしなかった処でした。この一瞬の天変地異は全ての日本人にとって払拭できない悲しみとなって心に居座ることでしょう。
 今更ながら、ご冥福をお祈りします。

2013/03/11

「憲法改正」に対する私の気持ち

 私が大学「弁論部」に在学していた昭和30年代の終わり頃、「憲法問題」は弁論大会の常識的普遍の「テーマ」でもありました。そして、その殆どの弁論構成は護憲の立場に立っての意見の開陳でした。
 最近の学生弁論のテーマについては承知していませんが、時代と共に対象となる課題は変化しているでしょう。
 さて、安倍総理も現憲法に対し大変な神経をお使いの様です。勿論、北朝鮮の狂気とも思える扇動に「危険」を感じない国家はないでしょうが、総理の主張通り今日の「自衛隊」任せのお寒い防衛対応では、「大国・日本」の採るべき対策とは思えません。さりとて、防衛には多額な国家予算が必要とし、また国民感情も複雑となります。そこで選択すべき方途として、集団安全保障の下の「国連軍」に参加する道を主張し始めました。
 しかし、そこには憲法問題ガ横たわっております。何と云っても憲法9条と今日の自衛隊の存在は、乖離過ぎと云ってもいいでしょう。
 一方、護憲派の「改正反対」は単なるセンチメンタリズムと云っても過言ではないでしょう。そろそろ、世界情勢を真摯に受け止めて、「憲法」問題に取り組むべきと考えますが如何でしょう。

2013/03/10

無責任な津波想定に惑わされるな。

 過日の静岡新聞にも静大教授の「大地震の痕跡見当たらず」の論文が掲載されていましたが、今朝の新聞には下田市役所の「高台移転計画がご破算」となったと報道されています。
 その根拠は昨年発表された南海トラフ地震では、想像を絶する最大25mの津波が襲うと発表されたが、その後の想定浸水深は5・5mに変化したことなどを参考に『高台』移転は必要無いとの結論に至ったのでした。
 これまでも私は国の津波想定は学者らの「お遊び」と見縊ってきました。
 2・11の東日本大震災を契機に、学者と呼ばれる方々は周辺の地層を掘り返しては、過去の「津波の履歴」と発表、この時とばかり売名行為に走ったのでした。
 若し私の意見が素人の浅はかさと云うなら、是非、「登呂遺跡」の存在についてご説明頂きたいと存じます。「登呂」とはアイヌ語で「沼地」を意味し、往時は現在より更に海岸端にありました。その遺跡から2000年前の丸太舟、農耕用の高下駄等、更には住宅に使用された木片などが多数発見されております。
 譬え小さな津波であれ、静岡海岸を襲っていたなら「登呂遺跡」は跡形なく流され、遺跡の存在は発見されることはなかったと私は考えます。
 どなたかこの私の無鉄砲な発想を覆えして頂きませんか。

2013/03/09

「黄昏」の民主党を見る

 昨日の衆議院予算委員会における民主党幹部の質問戦を、一部ではありましたがその中継を見ながら思いました。
 その中でも、「尖閣諸島に係る民主党政権の対応は、中国との軋轢を心配して、当然なすべき警備、警戒に極度の縛りが掛けられていた」との安倍総理の言葉に「何を根拠に」と岡田前副総理が食い下がったのでした。これに対し「首相になって防衛相、海上保安庁の事務方から聞いた」との答弁に、二の句が継げずに「極度の縛りとは感情的な表現でフェアではない」と問題外の姿勢に食いついて撤退したのでした。
 更には細野氏の質問もまた、民主党政権時代のやり残した課題を反省を含めての質問であれば、正直言って「黄昏」の寂しさは禁じえなない処でした。
 こんな党情であれば、民主党の復権はあり得ません、寧ろ、先の総選挙で落選された候補の何人かは早々に他の小政党に移っていくのではありませんか。
 「彼は誰そ」・・・夕闇迫る中におぼろげに見る彼は一体誰でしょう・・・これを「黄昏」と表現します、美しい日本語の代表と私は考えます。

2013/03/08

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