静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2012年12月

表示件数:

今年最後のコラムです。

 恐らく本年最後のコラムとなると思います。この1年間、本当に多くの方々がお付き合い戴き有難うございました。
 ページビュー、訪問者の総数については調べてありませんが、1日に平均250件とすれば、年間、10万件近くのアクセスとなり驚いております。
 「豚も煽てりゃ木に登る」の譬えに似て、朝1番の仕事して毎日書き綴っております。
 さて、昨日は家内も「古希」を迎えました。思えば本当に長い歳月、付き合ってくれたものです。昔「神田川」という歌がありましたが、その歌詞が私達でした。
 凡そ50年前・・・・
 勿論、それが二人の希望でしたが、「あれよあれよ」の間に結婚、新居は練馬区春日町の6畳一間、私は中央大学の3年生、家内は勿論、無職でした。
 思えば、よくぞ許された結婚だったと思う。10円のカリフラワーは何故か茶色く汚れていました。隣の魚屋は売れ残りの切り身を投げ売りにくれました。銭湯で「出るぞ―」と大声を掛けて一緒に帰った仲の良い時代もありました。あれから半世紀、何故か今は着る服、ネクタイにも文句が多く、しかし、私の口答えは出来るだけ少なく、恍けながら事務所に逃げて、パソコンを友とするのです。人は「仲がいい夫婦」と云いますが、本当は怖いのです・・・。幸い家内はパソコンは嫌いなようで、このコラムは見ません。だから・・・。

2012/12/30

「墓碑銘」に次の方々を・・・

 2012年の「墓碑銘」が今朝の静岡新聞に掲載されております。それを見ると「ああ、そうだった・・」「00さん、今年だっけ?」と老廃物に固められた頭脳は指摘されて、漸くその事実が舞い戻るのでした。
 沢山の人々が人生を懸けて自身の歴史を築いて行きました。「墓碑銘」に刻まれた人々はまさに「人生の目的を全うした」方々ですから、悲しがることはありません。
 一方、政界「墓碑銘」にはまさかの紆余曲折もあって、生きながらえながらも舞台から消えていった「悲しき政治家」は少なくありません。
 先の衆院選を契機に、先ずは「小沢一郎」氏、ダッジロールの果てに分解、消滅致しました。石原慎太郎氏も嘗てこのコラムで私の心配を掲載しましたが、悲しくもその通りになってしまいましたが、「長い事ご苦労様」。お仲間の橋下大阪市長も竜頭蛇尾、また名古屋の河村氏も不完全燃焼のまま政界から見捨てられました。
 それにしても群雄割拠した今年の政界は結局、自民党の独り勝ち、国民は長い“曇り空”の経済に疲れ、「インフレでも良い、経済をなんとか」の思いの表れだと思います。 難しいでしょうが、日本経済の立ち直りに期待します。

2012/12/28

「日本未来の党」は未来なく、明日もなく早や解党

 勿論、嘉田知事のいい加減さに反吐(へど)が出る思いではありますが、譬え「鱓(ごまめ)」であれ、多数の「チルドレン」を擁する「小沢」グループとの合併、そしてその「総帥」に推戴され、暫し「恍惚」として報道陣の取材を楽しんできたのでした。
 しかし、自らの業務を忘れ、総選挙にうつつを抜かしてきたものの、選挙結果は無惨な敗戦、更に、気付けばそこは悲しき「四面楚歌」、遂に今日の新聞報道では哀れ「日本未来の党」はたった一ヶ月で「たった一人」になってしまいました。
 若しかしたら、嘉田さんは今、参院選への出馬を模索しているのではないでしょうね。譬え、そんな事になっても「無所属」と同様の立場、しかも1人区であれば当選の見込みは皆無です。
 さっさと、県議会に詫びを入れて、本業にお戻りなさい。英国・サッチャーは貴女が夢みる類の女ではありません。

2012/12/27

「第2次安倍内閣」の誕生日です。

 今日、衆参両院の特別国会で、安倍晋三氏が第96代首相に選出されることになりました。誠におめでとうございます。
 恐らく安倍氏にとって4年前の悲惨な退陣劇は以来、脳裡から払拭することの出来ない悲しき映像だったでしょう。
 尾っぽを巻いて“すごすご”と舞台から消え去っていったその子犬が、今再び、立ちあがり、その結果、過日の衆議院選挙では未曾有の大勝利を収め、今日その集大成として、「第2次安倍内閣」を構築するところとなったのであります。
 一方、党の3役人事についても、納得できる執行部体制と考えます。その中で、私にとって、特段注視したのが、総務会長に就任した野田聖子氏です。
 日本平カジノ議員連盟を主宰する者として、「野田聖子」氏は「カジノ解禁」に大変理解ある代議士です。民主党時代にも「カジノ法案」は準備されておりましたが、それ以前の自民党政権時代には「カジノ・エンターテインメント検討小委員会」の顧問として積極的に「カジノ解禁」をリードしていた代議士でした。
 「カジノ解禁」も愈々、満潮の時を迎えたものと期待しております。

2012/12/26

何処までも「傲慢」な橋下市長

 来年予定される参議院選挙に「日本維新の会」は「大都市地域特別区設置法」をもって首長職を兼務しながらも、参院選に出馬したいそうです。
 その事に今朝の静岡新聞は「社説欄」に、「二つの仕事を同時に」は難しいのでは、更に「大阪市民の納得が得られるだろうか」と疑問符をつけて報じておりました。
 私がこの社説を読んで即刻、このコラムに書きだした理由は、既にご納得戴いたものと思いますが、譬え、「全知全能」の人間であれ、国会議員と首長の職務は兼務させてはなりません。
 正直、知事であれ、市長であれ、首長の仕事は国会議員より、遙かに清廉、公正さが求められます。単に議会議員のように、議案審議や賛否の権限を持つ多数の中の1人とは基本的にその立つ位置は異なります。それを同時進行させる兼務について、当該住民の判断で決する問題ではないと云いたくて記載したのであります。
 私自身が市長と云う職務を経験しましたからこそ、敢えて「社説」に反論させて頂きました。
 扨て、今でこそアドルフ・ヒトラーは第一次大戦の敗北から醸成されたドイツ国民の混迷と国家の疲弊から誕生したと云われておりますが、私には何故か「橋下市長」の政治姿勢に「ヒトラー」を感じるのであります。
 

2012/12/24

突然の解散は「自民党」にのみ好機でした

 将に突然の解散劇でした。野田総理の発作的決断がまさか年度内に安倍内閣を創り出すことになろうとは誰も想像しなかった処でしょう。
 恐らく野田総理として解散まで時間を置けば「日本維新の会」など、誕生間もない小政党が跋扈(ばっこ)してきては面倒との思惑から決断したでしょう。しかし、まさかの実態として、民主党代議士の多くは既に、解散は来年の6月以降と構え、突然の野田総理の決断に、てんてこ舞いしたのでした。更に「日本維新の会」や「みんなの党」など突然の公示を目前に慌てふためき、準備もそこそこに選挙戦に突入していったのでした。
 結果については、新聞の論調で「自民の独り勝ち」とのことですが、その結果を更に精査すれば、必ずしも喜んでばかりはいられないのです。
 3年4か月の在野に、自民の各候補は真剣に選挙準備して来ましたが、事前の私達の予測では恐らく8議席中、5議席取れれば御(おん)の字と云ってきたのでした。
 処が、予測に反し、静岡県は全ての選挙区で当選者を出してしまったのでした。そう、相手方が勝手にひっ転んでしまったのでした。その証拠に、選挙区で褒められるほど得票はしておりません。ですから「勝って兜の緒を締めよ」の譬を以後、金科玉条にすべきと自らに諭します。

2012/12/23

面白い話を聞いたので貴方にも・・

 昨日、私も関わるモンゴル友好協会のメンバーの役員、静岡県立大学の高木桂蔵名誉教授のコラムを拝し、「なるほど」と思い、本日私のホームページをご愛読いただいている皆さんにもと思い、以下、高木先生の許可も取らずにその一部を掲載させていただきました。
 古来日本人は、「言葉に魂あり、それが人の意識を動かす」と信じ、大切にしてきました。
 扨て、近年、中国経済の飛躍と共に、「政治的混乱の震源地」が中国に移動してきました。しかも、その混乱の根本原因を一言でいえば「中華思想」にあると指摘し、更に、高木先生は彼らが使用する「文字」の中に歴然と発見する事が出来ると記載されております。
 例えば「蒙古」については、「蒙」の意味は「愚か、乱す、愚人」の意味を持つ漢字、同様に東夷・西戎・南蛮・北狄と周辺国を呼ぶが、「夷」はイヌが弓をもつ奴の意味、同様「戒」は野蛮人、「蛮」は未開人、「狄」は火を使うケダモノと教えてくれました。
 実は日本に対しても、邪馬台国の「邪」は「よこしまな」の意味を持つ漢字です。
 朝鮮とは「朝貢」するものが少ないケチな野郎、朝は貢ぎ物、鮮は少なしと云う字だそうです。だから「モンゴル」も「蒙古」とは呼んで欲しくないと高木教授は力説しておりますが、将にご指摘の通りです。

2012/12/22

4mの嵩上げを決断、不承不承の浜岡原発

 今朝の静岡新聞の一面は、南海トラフの津波高19mを想定して、これまで1000億円余の費用を散財し、建設を進めてきた18mの防潮堤を、報道では更に4m嵩上げすることを決めたとあります。
 この8月に国は「南海トラフ地震」の津波高を19mと想定され、再開を期してきた中部電力としては、この選択はまさに「不承不承」、例えて言うなら「泣く児と地頭には勝てぬ」の心理のもとに、帰結したところでありましょう。
 処で、私にはどう考えても「南海トラフ地震」の津波の想定は理解出来ないのであります。昨年の東日本の大震災以来、「我が世の春」が来たように、それまで沈思黙考してきた地球物理学者たちが、俄然、口を開く始めたのでした。
 身近では静岡大学の教授も大谷方面の土壌を調べ、地震の痕跡を発見と新聞に掲載され、ご満悦のご様子でしたが、地味な「地学」が突然スポットライトを浴びたことによって、更に極めて「反論」できない分野ゆえに、地震研究者達の「言いたい放題」、しかも地震の発生は「予知はできない」と最近、本音を発表されたところ、「恫喝」もそろそろ止めにして欲しい。それより以前からの私の疑問に答えをいただきたいのですが。
 静岡市内には「登呂遺跡」や「汐入遺跡」があります、ここから当時の丸田舟や木製の農業用の下駄、住居の木片などが発見されております。このことは「南海トラフ地震」のような大地震や津波がこの2000年の間になかった証左ではないでしょうか。それが私の疑問です。

2012/12/20

お悔み申し上げます、ダニエル・イノウエ殿

 昨日の一般質問の休憩時、議会事務局職員からダニエル・イノウエ氏の訃報がありました。恐らく同行した職員の気持ちの中にも「こんなにも早く・・」と驚きのニュース故に私に報告してくれたのでしょう。
 実は、過日の「米国視察」の行事予定の中に、若しチャンスがあれば・・と団員からの希望から、ワシントン訪問時にダニエル・イノウエ氏にお目に掛りたい旨、事前に外務省を通じて要請致した処でした。
 1963年からアメリカ上院議員となり、実に半世紀もの間、日米間の守護神として力強い応援を頂いてきた貴重な政治家でした。
 そのことが認められ、2011年、桐花大綬章を受賞した大政治家・ダニエル・イノウエ氏との面接は、勿論小さな期待でしたが、国会議事堂を訪問、その際、“懐刀”と云われる秘書のメアリー・ヨシオカさんにイノウエ氏の執務室で質疑応答の時間を戴いた処でした。恐らくその頃には既にイノウエ氏は入院していたと今では想像します。
 心からのご冥福をお祈り致します。

2012/12/19

時に私の事務所を紹介をしましょう。

 総選挙が終了して一服しましたので、ここで何の意義もありませんが、私の事務所風景を紹介します。折あればお尋ね下さい、お茶かコーヒーをお出し致します。
 さて、私の事務所は勿論、借りもの、家主は2階・3階にお住みです。
 昭和62年に私が市長に就任して間もなく落成した3階建の「稲葉ビル」の1階部分凡そ20坪を、これまで廉価にて借用致してきました。
 静岡市民であれば誰もが知る主要幹線道路の通称「北街道」、その沿線にある「セブンイレブン」と対峙して事務所があります。
 さて、皆さんが不思議に思う事の一つに、何故かこの事務所は常に人の「賑わい」が見えることです。実はこの事務所に専従する人は3~4名、助っ人(殆ど毎日)1~2名、その中で薄給ながら有給職員は2名、他の人はボランティアですが、云われる言葉は「暇つぶし」とのこと、それ故、気軽に事務所に寄る人も少なからずであります。
 そんな事務所を北街道から覗けば、矢鱈に活性化した事務所と映るでしょう。
 そうです、私の不在中も、例えば過日の訪米中も、一向に変わることなく事務所は賑わいを見せていたそうです。

2012/12/18

ページのトップへ

現在地:トップページ天野進吾のコラム