静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2012年11月

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今日から12月議会が開催されます。

 財政的にも、条例なども論議されること殆どないでしょう、補正も極めて小さな額であれば、口角泡を飛ばす場面もないと思われます。些か面倒なのは一人の県議が総選挙に出馬することから、会議規則に則り、委員会構成など検討しなければなりません。しかし正直云って、議員の皆さまは総選挙に神経が回り、充分な審議が行われないと困りますことから、12月3日に代表質問だけを片付けて、一般質問ほか、常任委員会などは選挙後に回す事にしました。その結果、本会議最終日は月末の28日、前代未聞の日程となりました。それでは県庁に行って参ります。
 

2012/11/30

「離合集散」留めなく・・・

 何時になったら党派の数が固まるのでしょうか?
 殊に「小沢一郎氏」の情けない動行に翻弄され続ける弱小政党の哀れさは見るに忍びない所です。前日、この欄で指摘した通り嘉田知事は小沢氏の防波堤になったのでした。
 それにしても大阪、滋賀、名古屋の首長は何と暇でしょうか。二足のわらじを履いて、履き心地の良い方をこれから選ぶのでしょうか。そうした意味では都知事を去った石原慎太郎氏の選択は妥当と云えるでしょう。
 そんな中で、やはり勿体なかった人物として片山虎之助参院議員の存在です、若し今、氏が自民党所属であったなら、確かな「羅針盤」として重宝していたと私は思います。
 

2012/11/29

理解出来ない「脱原発」と「卒原発」

 小沢一郎氏は何処までも「たぬき」でした。
 嘉田知事の「日本未来の党」画策劇も、時間の経過と共に霧が晴れ、小沢氏の自作自演の舞台裏が暴露されました。
 今回の選挙で小沢氏は、奥方の反旗に翻弄され、落選の憂き目をみる可能性が高ければ、「国民の生活」所属候補、即ち「小沢チルドレン」と呼ばれる連中の面倒を見ていられないと判断した時、目立ちたがり屋の嘉田知事に接近し、籠絡させた結果が新党結成でした。
 恐らく、小沢氏は嘉田氏を世界の「メルケル」と、煽てて引っ張り出したのでしょう。
 まさかこんな理解不能な「新党」に浮気する政党はないでしょうが、14もある政党の中ですから、勘違いして色気を見せる愚か者もいるかもしれません。
 処で、今朝の静岡新聞の「論壇」に評論家・屋山太郎さんの「原発政策の結論急ぐな」が掲載されております。暇があったら是非読んで下さい。久しぶりの正鵠を得た意見と読ませて頂きました。

2012/11/28

またぞろ、「新党」の提言

 嘉田滋賀県知事の「卒原発」を唱える提言に何と「国民の生活」の小沢一郎氏がまず飛びついたのでした。
 嘉田知事のように、本来の業務を放擲して、国政に関与する首長は、極く最近の傾向で、決して誉められるものではありません。大阪の橋下市長に端を発し、愛知、東京、そして滋賀に伝播してきましたが、その姿勢は基本的に非難されるべきものと私は考えます。
 ――自らはトーチカに隠れて、迎える敵兵を撃つ――の構図に似ております
 其れはさておき、見苦しいのは小沢氏でした。来月の総選挙で「国民の生活」が惨憺たる結果を見るのは明らかです。同時にそれは政治家小沢一郎の終焉を意味するものであれば、見っともない姿を露呈しなく済む手法を模索した結果が嘉田知事の呼びかけに応えることでした。
 公示直前の今なお「ごまめの歯ぎしり」が続いております。なんでこんな「切羽詰まった」段階まで決断できなかっただろうか、石原都知事の下野と同様、政治的センスを疑います。
 

2012/11/27

小さな事で御免なさい、言葉は慎重に・・・

 焼津の市長選挙は予想外と思えるほどの大差で、自民党の中野氏が初当選した。
 「中野さん、おめでとう」、低迷する地方行政に活を入れて下さい。期待します。
 さて、本日の静岡新聞の3面記事には喜びに沸く選挙事務所の写真はもとより、敗れた側の反省の言葉も掲載されていました。
 そんな中で、焼津を選挙区とする民主党の津川さんの言葉が掲載されております。
 ・・・「あくまで市の将来を誰に託すかという市民の判断。自民党に追い風が吹いていると云う訳ではない」・・・
 戦い敗れた清水陣営にとって、この言葉は同じ政治的基盤に立つ者同士にしては、余りにも情け容赦のない言葉と云わざるを得ません。津川さんの言葉を換言すれば「政党の争いではなく、中野氏のほうが、市長として適していると市民は判断した」ということになります。
 間もなく自らも審判を受ける身、民主への「厳しい風」を意識したくない気持ちはわかりますが、政治家なら今少し言葉は慎重に選びましょう。

2012/11/26

見っともないぞ、日本維新の会

 まさか「住民投票条例」の先頭に立って県民を鼓舞してきた前磐田市長の鈴木望さんがこの度の衆院選を意図して行動していたとは驚きです。まさに「正義の仮面」をかぶっての誘導だったと取られても仕方ないところでしょう。
 その鈴木さんがこの度は「日本維新の会」から出馬すると今朝の新聞にありました。更にその紙面の下段には県7区から第5次公認として東京のサラリーマンが決定したと記載されています。
 恐らく選挙戦にあっては門外の候補となると私は考えますが、妄想に浮かされて、人生航路を踏み外してはもったいないと考えます。はっきりしている事は、既に「日本維新の会」は「竜頭蛇尾」にあると云っても過言ではありません。今度の公認候補の決定は、単に雁首を揃えたに過ぎないと私の目には写るのです。
 大御所・石原慎太郎さん、今頃になって眼鏡のレンズを拭いてももう遅いのです。

2012/11/25

「地震予知」の言葉は排斥されました。

 凡そ40年前、明日起きても不思議ではない「駿河湾沖大地震」説が突如、権威ある地震学者によって発表されました。
 爾来本県は「上よ下よ」の大騒ぎを経て、学校の耐震化はもとより、橋梁、公共建造物の改造など、目一杯の財源を耐震化にかけてきました。そして遂に昨年度までに投じた県費は何と2兆円を超えたのでした。恐らく、これに市町村が投じた費用を加えれば4兆円を遙かに超えるものと考えます。
 勿論、例えば校舎の耐震化を施行した建物が使用期限を過ぎて今、解体されることになったとしても、当時の財政運営が誤ったものとは非難できません。
 ただ、ここに至って「日本地震学会」が何ら悪びれることなく、今後は「地震予知」なる言葉を不用意に使用しないと決めた事に、正直、複雑な思いを禁じ得ません。
 つい最近まで、恰も鬼の首を取った如く「地球物理学者」は、売名行為と覚しき論文を発表をし続けてきました。
 思えば、東日本大震災に誰がその危険性を警鐘したでしょうか、誰が津波を予測したでしょうか?
 この度、数年前のイタリア大地震の判定違いから、提起された裁判で科学者らに厳しい判決を前に、日本の地震学会は軽はずみに「予知」の言葉を使わないことにしたのでした。

2012/11/24

冬のお化けか「道州制」

 衆院選挙を目前に、我儘勝手に個性化を訴えていたインスタント政党もここにきて、急遽、合従連衡が始まりました。驚く事に、現時点で認められた政党数は二桁を数えます。
 更に日毎に離合集散の繰り返しで国民にはどうなっているのか判らないのが実態でしょう。
 そうした中、選挙目当ての選んだ公約は、浅薄にも誰もが判る「原発反対・消費税反対」を先ず掲げました。処がこれでは個性がないということから国民に見分けられない、そこで、久しく倉庫に捨て置かれた「道州制」が引っ張り出されてきました。
 一昨日帰りました米国視察の中で、私が常に関心を抱いて見てきた一つに、米国の「連邦制度」があります。
 今、我が国が勝手に描いている制度は国ー道州―市町村という県を排除した組織で、より簡潔にして廉価であり、中央集権を排除した行政組織として、PHP関係者が推戴し、主張している「道州制度」こそ私に言わせれば「木を見て森を見ず」の政策の何物でもないと考えます。
 アメリカ50州の中で、海岸線近くの大都市は驚くほどの豊さを見ますが、大陸の真ん中に捨て置かれた零細都市に住む人々の惨めさは哀れでした。
 わが国が道州制を採用したなら、恐らく、東京など大都市に人、物、金が集積し、山陰や四国・東北地方は一層の過疎化を招くことになるでしょう。
 日本に比べてアメリカ人1人当たりの公務員数は寧ろ多いと聞いております。公務員の少ない事を是とする年来の「ひがみ根性」に決別して、この度の選挙を意義あるものにして頂きたいと考えます。

2012/11/23

10日ぶりのコラムとなりました。

 まさかの「10日間」でした。ワシントンに到着して間もなく衆議院は解散、序に「夏の夕涼み」の花火に似て石原慎太郎氏が「太陽の党」をぶち上げるつもりがこれまた「ガス欠」に終り、何故か日ならずして解消、これと同様、維新の会の試みも水泡に帰していったこれまでの日々に思えます。
 本県の衆院選の候補者も「日本のオリンピック」選手団宜しく、「表彰台」など考えない、否、出る事に意義を見出す候補の「群雄割拠」の図が見られます。
 さて、心に引っかかっていた「駿府城公園での傷害事件」はたった今知りました、何と自作自演だったようですね。一面解決して良かったとは思いますが、最近の若者たちは、肉体の割に精神面の耐久性が乏しいようです。
 さて、今回の視察は大変充実した内容に終始し、同行した議員、事務局の全ての皆さんの満足が得られたものと思います。何と云っても通訳が大事ですが、折々の通訳者はその専門用語を十分に理解し、我々の質問を正確に相手に伝え、答えを訳す。まことに結構な援助者でした。

2012/11/22

今日から、アメリカ・10日間の旅に出かけます。

 何年ぶりの渡米でしょうか。アメリカへの渡航回数は今回で11回目を数えます。何故か私はヨーロッパより「北米」が好きで、今回もヨーロッパや豪州を避けて、今年度の渡航先、「アメリカ」を選びました。
 何時の間にか二桁の渡航回数になりましたが、折々の旅の思いでは今でも鮮明です。例えば11年前の視察では、心筋梗塞の発作によってボストンの街に凡そ1ヵ月滞在するところとなりました。
 しかし、何と云っても43年前のアメリカ1ヶ月に及ぶ放浪の旅は、今なお鮮明に覚えております。手にしているものはパスポートと800ドル(持ち出し限度額)の米国紙幣でした。勿論、英会話の能力は一歳の「ベイビー」と変わりませんでした、ただ飛びぬけた強心臓が貴重な体験と見聞の機会を作ってくれました。 
 出発に際しては、同僚市議20人余りが新幹線ホームで万歳と共に見送って頂きましたが、その方々も既に全員「黄泉の旅」に出かけてしまいました。半世紀の月日はあっという間に経過しました。それでは只今から気合いを入れて出発します。

2012/11/12

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