静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2012年08月

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モンゴルの続きです。

 眠気に襲われ、不図、我に返った時、目の前には大きな水溜りが見えたのでした。運転手も驚いて急ブレーキを踏む、しかし車両は前のめりになったまま、ぬかるみに突っ込んでいったのでした。そのショックに誰もが深い眠りから覚め、瞬間に事の重大性を理解したものの、もう遅い、アクセルは空回りし、車体は寸分も動くことなく、沈んでいったのでした。
 呆然と眺める私たちに、暫くして遥か彼方から機械の動く音が聞こえてきました。同時に遠くには小さな光も見え、それが石炭の露天掘り工場と判るや、モンゴル人の運転手が小さなライトを片手にその光に向かって歩み始めました。1時間程してシャベルロウダーが将に「天恵」となって我々の前に現れました。当然のこと、盛大な拍手を持って迎えた瞬間、何とこの戦車のような重機までもが泥濘にはまってしまったのでした。
 「ああ・・友達がもう一人出来ちゃった」仲間の一人が長い嘆息と共に呟いていました。
 太陽が昇る頃、何処から探してきたのか鋼鉄線のチェーンや捨てられたタイヤを利用して30m程のワイヤーロープを制作、大きな水溜りの向こう岸に10トントラックの応援を得て、わが車両を引き上げるところになりました。叡智は如何なる環境も乗り越えることができるという確かな証でもありました。しかし・・・救援に来たお友達は更に深みに沈んでいるでした。
 そんな時、親切にも仲間になって発掘を手伝っていたオヤジさんが、こんな所にいても仕方がない、「俺の家に来い、メシぐらい出してやるよ」と云う。時計を見れば間もなく10時、早速、無関係ながら、現地の面々と一緒に彼の家に向かった。そこは全部で50軒もあるだろうかと思うほどの小さな部落、ポチが5匹楽しそうに遊んでいたが、そこは明らかに貧しい人々の生活が丸見えの生活共同体でした。
 朝青龍の奥さんが務まるほどの体格を持つこの親父さんの奥さんは、忽ちの内にパンを焼き、卵焼きを作って、我々の前に小さな皿に山積みさせて外連味もなく出してくれた。食料は「がっつく日本人」の胃袋に収まっていったのでした。
 持っていた何本かのウオッカを出せば、彼らは一気飲みで忽ちのもとに消化、アルコールの勢いも手伝ってか「さっさと帰れ、重機は何とかなるさ」と剛毅な男に変身し、私たちは解放されたのでしたが、帰路、放置されてきたシャベルローダーの傍に、途轍もなく大きな重機が近づいていました。あれなら大丈夫だろう・・・

2012/08/04

昨日、モンゴルより帰省しました。

 国土の5分の4が牧草地と云われるウランバートル国際空港に降り立ったのが真夜中、更に準備を終えてドルノゴビ県に向かって「トヨタの4輪駆動車」がスタートしたのは1時すぎでした。
 快晴の中、月光も皆無とあれば、満天にはこぼれ落ちる程の星の数々が瞬いておりました。その中央部に薄く乳白色の帯を見つけた時、「あれこそが天の川」と少年時代の記憶に小さな感動を覚えたのでした。
 モンゴルの自然が私たちに微笑んでくれたのは実はこの時と帰国前の数時間でした。
 間もなく未舗装というより、道なき道といえる程の草原に突入、ドルノゴビ県の中心都市・サインシャンドに到着した時は、真っ白な車体は抹茶色の泥に覆われて見るも哀れな姿に変身しておりました。まんじりともしなかった私たちは、休むことなく、そのまま両県友好1周年事業の各種行事に参加し、無事、来訪目的を果たしてまいりました。
 私達、静岡県とモンゴル友好協会は周年行事に参加の県議団とはここで終了し、翌々日の真夜中には、再びウランバートルに向かって、車は勢いよく出発いたしました。その時はこれから起こる突拍子もない事件へのプロローグとは露ほどにも考えませんでした。
 実はこの二日間に相当量の雨が降って、草原には多くの水溜りが出来、しかも至る所がぬかるんで、車両の運行は困難の極にあったのでした。汽車では10時間、しかも時刻表は当てにならい運行とあらば、6時間で着く乗用車での旅の方が確かで、楽しいだろうとの発想は、間もなく反省の時を迎えたのでした。
 砂漠地帯に作られた車道は前者の轍の跡だけ、更にその轍も夜陰に乗じて愈々怪しく、その上、運転手の眠気も募る中、我々の車は突然、泥沼にハマリ込んだのでした。その上、よせばいいのに運転手は脱出を試み、アクセルを踏めば更に深く、大型車輪の大半が埋まり、万事窮すに至ったのでありました。
 その夜は、薄雲が星の瞬きを消しさり、只、暗闇が周辺を覆い込んでいました。以下続く。

2012/08/04

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