静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2011年05月

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本日が沖縄復帰「39年目」の記念日です。

 1972年(昭和47年)5月15日午前0時をもって、沖縄の施政権が米国から返還され、もって27年ぶりに日本に復帰し、「沖縄県」が誕生したのでした。
 残念ながら今朝の新聞にこの記事を発見できませんでした。
 しかし、高校入学間もない私が「政治」に関心をもつ切っ掛けとなったのは「沖縄」の存在でした。
 当時、高校生を対象とした人気雑誌「螢雪時代」に、首里高校生の「沖縄の日本返還」論が掲載され、これを見た私は「日本語を話しながら日本人ではない」人々の存在に驚くと共に深く憤りを覚えたのでした。爾来、県立図書館を訪ね、或いは吉見・谷島屋と云った書店で「沖縄」の二文字を探し、文献を求め続けたのでした。
 凡そ今では考えられない程、沖縄に関する文献はなく、更には日本地図にも沖縄は掲載されていなかったのでした。それゆえ、校内の弁論大会での演題「沖縄」に疑問を持った先生が「沖縄ってなんのこと」と聞かれ、「琉球のことか」と納得する始末、それほど「沖縄」は米国の潜在自主権下に放擲されていたのでした。
 私が幾度かの弁論大会や雑誌で「沖縄の日本復帰」を訴えて凡そ10年後の昭和47年5月15日、晴れて47都道府県の1つに加えられました。しかし、実際のところ40年経ても今なお、沖縄の前途には多くの障害物が横たわっているのです。

2011/05/15

「歴史が評価」との菅総理

 中部電力浜岡原発の停止を指示した菅総理の姿勢に私は多いな疑問を抱くものであります。総理はこの評価は「歴史が判断する」と云い放っていますが、中部電力関係者の憤懣やり方ない怒りは充分に理解するところであります。
 原子力発電所の建設・認可は全て政府の指導下に置かれ、更には「鼠一匹の出没」まで国や県に報告の義務という徹底した管理体制の中に置かれ、今日に至ったものと考えるのであります。
 この度の突然の「浜岡が危ない」の声明は具体的数値に基づいたものではなく、極めて政治的目的をもった赦しがたいパフォ―マンスと考えるのであります。
 手元に「日経サイエンス」の五月号があります。そこには東日本大震災のことが詳細にしかも科学的に報じられておりますが、「浜岡原発」の危険性についても、さらには東海地震の危険性、勿論、後に政府が出した危険度「30年・84%」についても一切触れておりません。
 ともあれ、菅内閣の破れかぶれの横暴としか表現できないところです。

2011/05/14

官製の「地震のメッカ」

 一昨日の議員総会で、殊に浜岡原発周辺の議員から発せられた言葉は、“30年以内に87%”の確率で駿河湾沖地震が起るという「恐ろしき診断」についてであります。これによって、志太・榛原地域の企業誘致には暗雲が漂い、地価は下がり、更には観光業にとっても大打撃となりました。
 しかし、誰もが共通して抱いた疑問は「何故、今か」でした。そして思い付いた処は低支持率に翻弄されてきた菅内閣の窮余の一策として編み出した極め付きの「政治策略」でした。即ち国民受けを策した「浜岡原発の即時停止」でした。その理由に“30年以内に87%の巨大地震が起る”の根拠でした。
 処でこの巨大地震説は30年以上前から聞いてはいたが、率直に云って今回は87%と言う突飛もない恫喝的数字をもって、将に問答無用の廃炉宣言となったのでした。処で30数年間、2兆円の県費をもって地震対策に取り組んできた本県が政府の云う「危険性」を知らない筈はないでしょう。更に30数年前、駿河湾沖地震説が発せられた当時の事を思い返すに、その提言者はこの度の「文科省」ではなく、日本を代表する地震学の研究者でした。そして発表後は各地で膨大な研究資料の提示や説明会などが行われ広く周知したのでした。
 そうした観点からしてもこの度の「地震説」発表は為に作られた官製(菅製)そのものに思えてなりません。

2011/05/11

菅政権の苦肉の策と思えるのだが・・

 「前門の虎、後門の狼」と絶対絶命の窮地に追い込まれていた菅政権にとって東日本大震災は将に救いの神と云わざるを得ません。
 桜の開花を見る前に散っていく菅政権と思っておりましたが、既に5月の連休も過ぎ、今や往時の憔悴しきった総理の顔は「浜岡原発の停止」など突拍子もない意見を堂々としかも事前の通告、打診もなしに一方的に決断される「独裁者」の風貌となったのであります。
 実は本日、自民党県団は、浜岡原発の視察予定でしたが、突然の総理の発言から急遽中止となって(中電側の要請)午後、県庁での勉強会に切り替えました。恐らくその席でも質問されるでしょうが、若し浜岡が休止となった場合、代替エネルギーは「石油」などに切り替えられるでしょうが、そうなった場合、中部電力は数千億円の赤字が予想されますが、政府は如何するでしょう?。また電気料金の値上げとなって市民に反転してくるのでしょうか。
 明日起きても不思議ではない「駿河湾沖地震」、30数年前に私達を脅かしたこの「地震説」が今再び、支持率低迷に苦しむ政権の反転攻勢のための苦肉の策のように私には思えるのですが。

 

2011/05/09

30年以内に必ず「駿河湾沖地震」が・・

 それにしても菅政権は予告も無く、どのように結論ずけて発表したのであろうか。
 ご存知の通り、30数年前に「明日起きても不思議ではない」と駿河湾沖地震について日本の地震学会は発表、その結果、静岡は日本で最も危険な地域と週刊誌の表紙を飾ったものでした。この報道によって、県内の学校の耐震化、公共建造物や橋梁等の補強や整備、津波対策などこれまでに本県(市町村部分は含まず)が費やした地震対策費用は実に2兆円に上ります。 その間には北海道・東北・北陸・関西など大規模地震が次々に発生してきましたが、幸い本県は大きな地震もみず今日に至っております。
 さて、話変わって県発行の統計表によれば、全国の県庁所在地での有感地震数は第1位が水戸、2位は横浜・・・19位が静岡だそうです。そうした意味で本県が日本を代表する地震地域となったのか理解できません。

2011/05/08

突然の「浜岡原発」の全面停止に

 予兆すら感じさせなかった菅総理から突然、浜岡の原発の停止を要請された中部電力は恐らく、あいた口がふさがらないの思いだったでしょう。私達にしても、この度の「要請」の意図がどのように構築され、政府案になっていったのか知りたいところです。
 勿論、東海地震が近々に起きるという前提での政府案であり、この際、原子炉を一時停止し、その間に津波対策のための防御壁を築くことになるでしょう。
 しかし、それでは遠州灘をはじめ太平洋岸の対策はどうするのでしょう。目の前に巨大地震が想定されながら殆んどの地域は何の対策も立てられないままです。
 「明日起きても不思議ではない」と切迫した東海沖地震説が叫ばれて30余年、本県はこれまで実に2兆円の地震対策費を費やしてきました。勿論、その全てが「県債残高2兆3000億円」の理由ではありませんが、連休中も毎日4億7000万円の借金返済を続ける本県に「明日来ても可笑しくない地震」対策は手の施しようもない状況でしょう。
 ご存知のように「三保」は3メートルの津波で全てが消えてしまう程の低地ですが、過去の歴史に一度も海面下になったという話はありません。市内の久能・高松海岸にも甚大な被害をもたらしたという話も聞きません。

2011/05/07

静岡新聞の「大自在」にクレームを

 「大自在」ではサッカーの釜本を題材に、「プロ」の心を筆者なりの解釈で論評しております。要は選ばれし者は常にプロ精神で対処して欲しいとの事と理解したが、その最後に、用も無いのに政治家を引き出し、「プロのはずなのに」とこれを罵倒する、これ将に日本の評論家の常套手段である。
 政治家を侮辱して自身の主張を正当化する理論構成は日本人特有の展開であることを知って欲しい。昨日のウサマ・ビンラディン殺害の報道に、アメリカ国民が抱いた政治家への信頼は確かなものと云っていいでしょう。否、昨日の稿の中で書きましたが、F・ケネディの就任演説なぞ日本では考えられない理論です。
 処で、本当に政治家を「プロ」と思っているでしょうか?。
 否、殆んどのジャーナリストは自分達は「プロ」であって、制度があるから「政治家」があり、それ故に「公僕」、即ち「自分達のしもべ」と理解しようとする。
 プロでない政治家が氾濫するというなら、この際、M・ウエ―バーの「職業としての政治」に待つまでもなく、政治家の素質の3要素である情熱・責任感・洞察力を持つプロの卵を育ってていって欲しい。
 寧ろ、これまで、新聞テレビはタレントなど「かぶき者」を候補に祭り上げその結果、本物が生れて来なかったと云えるのではないでしょうか。

2011/05/05

ビン・ラディンへの報復の裏に

 あれから10年、アメリカは国家の威信を賭けて「ビンラディン」の報復に執念していた事を我々に教えたのであった。それは国民の微動だにしない「アメリカ人」たる誇りの現れでした。
 10年間、ほくそ笑み続けてきたビンラディン等テロ実行犯に、微動だにしないアメリカの執念は、それが「是か非か」の判断をさておき、お人よしの日本人には極めて希薄な「国体意識」であります。
 恐らく日本人であれば「あんなことが2度となけければ、それで諦める」の結論を導くことでしょう。しかし、アメリカは許さなかった、即ち「国家の威信」を何より尊重した証でした。
 凡そ42年前、私が初めて訪れた米国に、夢想もしなかった驚きの第1は、盤石とも思えるアメリカ国民の「国家意識」でした。勿論、アメリカは世界からの混合民族でしょうから、星条旗の下に価値感を統一する必要があったでしょう。ジョン・F・ケネデーの大統領就任から間もない頃でしたので、大統領の就任演説は私に心から感銘を与えた事を今更に思い出すのでした。

2011/05/04

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