静岡県内・県外の政治経済ニュースに一言

天野進吾のコラム

2011年01月

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「睦月」の呼称とは程遠い厳しい寒さの1ヶ月でした。

 今朝のテレビも大雪の被害に泣いている人々を映しておりました。更に鹿児島・宮崎の県境「霧島」の噴火も何時収まるとも判らぬ自然現象に怯える毎日です。
 そんな中、我が静岡の「平安な日々」は本当に恵まれております。気楽に、のんびりとゴルフをはじめスポーツに興じられる環境は雪国の人々には羨望の限りと云わざるを得ません。
 処で一昨日、所要があって川勝知事に面会した折、余談ながら以下のことを提案しておきました。
 NHKはじめ各局の天気予報の番組では、情けないかなこの「静岡」は除外されております。恐らく、本市が東京と名古屋の中間点という事で、予報官も敢えて挿入するに及ばずと考えて静岡は外していることでしょう。しかし、最近の大寒波にあっても、チラつく雪すら見る事のない本市の気温は周辺都市に比較して凡そ3~5度は高いでしょう。
 そこで、私は敢えて、知事に「気象環境日本一」を売り込むべく、NHKはじめ各放送局にプッシュするよう働きかけて来たのでした。寒い1月も今日で終わりです。

2011/01/31

小さき記事「東京高裁の判決」

 今朝、静岡新聞の29面に、極めて謙虚(小さくの意味)に「国旗・国歌の強制は合憲」のタイトルに訝(いぶか)しく、朝食後、早々に近くのコンビニ店で全国紙を買って来ました。 理由は、静岡新聞の記事の内容と紙面の扱いについて疑問を抱いたからであります。
 ご案内のようにこの裁判は東京地裁において「国歌の斉唱などは強制すべきものではない」の判断が下され、原告教職員395名に対しては一人3万円を支払うよう命じた常識では考えられない曰(いわ)く付きの判決でした。
 ですから今回の判決は地裁判断を全面的に覆すものであり、当然の帰結と私は理解いたしますが、この記事を知らしめる報道関係者の価値判断に疑問を抱いたのであります。
 この度の報道扱いを見ると、読者にとって「違憲」の判決は「画期的」で、「合憲」はつまらないということでしょうか、或いは最近の流行である頓狂な行為をもって「ニュース」となるご時世をそのまま反映していると云う事でしょうか。

2011/01/29

久能山東照宮の国宝指定を祝う

 一昨日、久能山に関わる方々が集まって東照宮の「国宝」指定の祝賀会が開催され、私もご招待を受けましたので出席して参りました。
 静岡県内では「建造物」として最初の「国宝指定」であり、落合偉洲宮司の並々ならない努力の結晶であったことを知らされました。本当にご苦労様でした。
 更に有難いことはここを訪れる観光客の爆発的増加です。私も12月に孫と参拝してまいりましたが、日本平からのロープウエ―は何台か待ちの状態、将に「国宝」の威厳が発揮されておりました。また聞けば久能山下の土産物店、イチゴ農家にも大きな利益をもたらしたと聞いております。
 これを契機に静清地区の新たな観光導入路の誕生を期待し、その起爆剤としなくてはなりません。

2011/01/28

またまた発病、奇を衒う首長の発想

 新潟県の泉田知事と篠田市長が県と市の二重行政の解消を目的として合併構想を打ち出しました。中身は新潟市を解体して東京都のような特別区に再編するという極めて「べら棒」な発想であります。所詮、私には理解できない発想で、恰も木に竹を接ぐようなものと考えるのですが。
 合併後の名称は「新潟州」と言う。更に泉田知事は「統治は国でなくて住民の意思でやるべき」と構想の意義を訴え、篠田市長は「協力して進めたい」と言う。この二人の発言から恐らく知事の主導にして、哀れ市長は「問答は無用」が保身と考えて追随しているようです。
 さて、最近、こんなアホな、敢えて言うなら大向うを呻らせようとして六方を踏む首長が後を絶ちません。本当に困ったものです。勿論、現在の行政機構が正しいとは思いませんが何故か「外国かぶれ」の発想が続くのであります。

2011/01/26

以外に早い衆議院の解散?

 24日、通常国会が幕を開けました。菅総理の施政方針演説を聞いて正直、衆議院の解散が意外に近いと感じたのでした。これまでも菅総理の姿は「押っ取り刀」の域にありましたが、新たに組閣しての登壇にしては今ひとつ元気がありませんし、無理難問の出し過ぎではないでしょうか。
 特に消費税と言う途轍もない難題を敢えて前面に引き出した心意気は結構ですが、今の民主党にこれを受け入れる度量があるでしょうか。恐らくこれから解散風の高まりと共に「市民感覚の消費税」を民主党議員は嫌と言うほど体感する事になるでしょう。その時、若い民主党の議員さん、受けて立つ気構えはありますか。
 また「TPP」問題も農協や農家の方々から厳しいご意見を受ける段になって、貿易自由化の厳しさを知るでしょう。
 更に小沢氏の問題が民主党を揺らします。強制起訴後、彼を除名する勇気がありますか。勿論、除名という決断は民主党の復権に繋がるものと私は考えますが、果して出来るだろうか、大いなる分岐点と言えるでしょう。
 難問山積の今国会をどう乗り越えていくのか、見守っていきたいと存じます。

2011/01/25

雑務多忙故にコラムの休み多し

 県議会選挙は4月10日、通常なら今頃は猫の手も借りたいほどの忙しさですが、幸い立候補者は殆んどが現職、世間で言う無風の選挙区と言われております。にも拘らず、このコラムの草稿が少ないには理由があります。
 そこでコマーシャルですが、2月4日、市民会館にて「天野進吾を支援する集い」を企画、今、参加者の募集に奔走しております。日本の伝統芸術である太鼓、篠笛、琵琶の演奏、有東木のお神楽など、存分にご満足する演芸も用意し、更には私の県政への抱負などお楽しみ頂けます。会費5千円。
 また時間を取られている雑事の一つにシンゴ―スコープの原稿が急がれていました。それもたった今、終了しました。以上意味なき内容の投稿で失礼します。

2011/01/24

与謝野経済担当相の発言は評価すべし

 疑問に思えた与謝野氏の入閣でしたが、今は、期する処あっての行動であったと理解しました。昨日の新成長戦略会議の席上、「原則65歳の公的年金の支給開始年齢の引き上げと定年延長」問題をズバリ提起したのでした。
 新聞によればこの発言は「中高年の年金加入者の反発を招く事必至である」と論評されておりますが、確かに制度の改正は「損する世代」のブーイングは避けられません。
 しかし、お考えください。私が初めて市議会に席を得た昭和42年の日本人の平均寿命は67歳でした。それから40年余りのうちに平均寿命は83歳、実に15歳も長寿化したのであります。当時の公務員の定年は55歳、今漸く「60歳定年」を延長しようとする動きが生れてまいりましたが、そんな事で健全な日本が築けるでしょうか。与謝野大臣も既に70歳を遙かに超えながら第一線を歩んでいます。この際、早々に「70歳定年」と年金開始年齢の検討に入るべきと考えますが如何でしょう。

2011/01/22

名古屋市民の過ち

 河村市長と云えば現在の地方自治の寵児、曰く「市民税10%減税、議員報酬の大幅な削減」など住民の喜ぶ浅薄な政策を掲げ、愚かしい名古屋弁を敢えて交えて市民に媚を売るのである。
 更にいかがわしいのは、片山総務大臣の言行である。某市長の「地方交付税の交付団体でも市民税を減税しても問題ないか」の問いにいとも簡単に「問題はない」と答えたという。本当だろうか?市民税を減税する自治体に交付税の支給はヤッパリ変です。
 更に云えば、この10%の減税は普通のサラリーマン家庭にあっては、ひと月に1000円以下の恩恵しかもたらしません。寧ろ事務量の増大や効能となれば将に「市民への媚び」以外何もにもないものと考えます。況や市長選挙の公約に「市長の給与を半減、ボーナスは不要」など目糞と思える公約は是非おやめ戴きたいと願います。
 処で、毎日、4億2000万円の借金返済を続けている名古屋市民の皆さん、この際、脚下照顧して予算書でも見ては如何でしょう。

2011/01/18

あれから16年

 私が阪神大震災を知ったのは滞米中でした。今は亡き友人・石川良治君が夜中の12時ごろ何時ものように自分の事務所に定例の電話、日本時間午前8時、出勤してきた事務員と暫し、業務の打ち合わせをしていたが、その最後に「関西で今朝、大きな地震があり、死人も出たようです」と報告があった。
 それから3時間後、石川君がトイレの水洗が吹き出し、溢れ出ているとのことで独りで大騒ぎ、否応なく目が覚めた私は適当に処置して、フロントに修理を依頼した。
 不図気がつくと、再び彼は日本に業務の打ち合わせで電話中、処が途中から話の調子が変わった、私も耳を傍立てて聞けば、先程の地震は途轍もないもののようだ。
 僅か3時間のうちに地震速報は激変したのでした。彼は驚いて、切った電話で即刻、関西の友人に安否を尋ねるべくTELしたもののこれが最後で、一切不通となってしまいました。
 あれから16年、石川良治君もまた「黄泉の旅」に・・・諸行無常の理(ことわり)をみる思いです。

2011/01/17

札幌は寒かった。

 僅か1泊2日の日程で議長の役目がら「札幌」に行って参りました。
 見渡す限りの銀世界、早朝、本当の寒さを知ろうとホテルの玄関を一歩出れば「痛い冷さ」が私の行動を押し留める。驚くほどの寒さだ。
 思えば北海道開拓史の歴史は例えば仙台藩伊達邦成らが開拓した「伊達市」誕生の物語など以前、本で読んだが、将に「塗炭の苦しみ」の果てに誕生した世界でした。食うに物なく、住むに家のない厳冬の大地にあって、徒手空拳の彼らは如何立ち向かっていったのでしょう。
 暖房の効いたホテルの二重窓から申し訳なさそうに私は暫し、物思いに耽っていました。
 朝発てば夕餉の裡に静岡、しかも何の寒さも疲れも知らず、自宅に着く。ホントに恵まれた現代社会であります。

2011/01/16

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