天野進吾の一期一会| 天野進吾のコラム(過去ログ)

天野進吾のコラム

2006年10月分

10月31日 独り言
 昨日の記者会見の席上、小島市長が来春の市長選挙に出馬する旨、公式に発表した。
 私の26日のホームページに書いておきましたが、既に来年6月の全国市長会で会長に立候補する意思を表明しているのであるから、今更、如何と思うのであります。それより、対抗として、準備している「海野氏」にとって誠に失礼な話であります。
 再度申し上げます。自己満足の肩書きより静岡市の未来への責任を自覚していただきたい。

10月30日 「注目」されたい子供たちの心理
 何年も前のことだが、静岡市の学校給食に「異物」が屡々混入すると云う不思議な社会現象が惹起、その結果、「センター方式」から各校で作る「学校方式」へのシステム転換への要望に転化していったのであった。実は当時担当した教育委員会の「弱腰」姿勢にことを増長させる原因があった事は紛れもない事実だが、冒頭から第3者に「疑問」の目を向けることはできませんが、しかし子供の「目立ちたがり」意識を嵩じさせたものは他ならぬ「報道機関」でした。「異物」がでれば「新聞に出る」「注目」されるの心理が事件を作った、明らかに子供の悪戯と解っていても報道は行政の責任を詰るのであった。2年ほど前、清水の小学生が誘拐された。車で連れまわされた二人の小学生が犯人のイメージを詳細に説明、翌日の朝刊に大きく報道さていたが、予測どおりそれ以降この事件の記事は一行も載らなかった。この事件も当時頻繁に「子供の誘拐」事件が新聞に掲載されていた最中の事でした。
 「いじめ」は何時の時代にも存在している、願わくは子供達にその環境に打ち勝つ心を養って欲しい、少なくとも私達の幼い時代は、もっと逞しかった筈です。親の過保護が結果として精神的虚弱児を誕生させたのかもしれません。

10月26日 全国市長会々長に立候補?  昨日の夕刊に小嶋市長が来年6月に行われる全国市長会の席上、会長に立候補するとの記事に驚きました。嘗て浜松市長が会長に就任していた時代は承知しておりますが、実際、会長となると全国の地方市長会に挨拶要員として出席、恐らく年間100日は出張することになるでしょう。即ち、会長就任は、いつに自身の自己満足であり、本市の行政には、なんのプラスにもならない、と私は考えます。それよりこの町に潜在する市民のフラストレイションの解消の為に、今、やるべき仕事に専従して頂きたい。率直に云って本市は「政令指定都市」を名乗るには余りにも恥ずかしい姿であります。

10月22日 衆議院補欠選挙の投票日、民主党の悲しきギャグの中で
 昨日をもって選挙戦は終了したが、報道によれば各党総力を挙げて応援、愈々今日が投票日、その結果は今夜だが、過日の新聞には写真入りで民主党の小澤、菅、鳩山の代表3人が揃っての応援風景が載っておりました。その鳩山氏の自民党候補を非難する言葉がふるっていた。「安倍総理はもとより、この自民党候補もまた、二世、三世であり、この際世襲を払拭しましょう」と呼びかけるのであった。でもこの記事を書いた記者もお気付きだったでしょうが、鳩山幹事長こそわが国で最も代表的世襲議員、鳩山一郎元総理を源流とするご一家は「音羽御殿」に住まいし、将にスーパーエリートである。さらに小澤代表も歴然たる世襲議員、「天に唾する行為」はみっともない。親の七光のお陰で当選した方々が圧倒するわが国の政治集団、「世襲」という表現は口にしないことです。前のホームページに書いた内容も同様です。

10月21日 安倍内閣の憂鬱
 今朝の静岡新聞にお二人の「中川」自民党執行部の言動が掲載されていた。
 先ずは中川秀直幹事長、「またかよ」と皮肉りたくなる程、屡々、週刊誌の話題を賑わす。今日は和歌山の談合疑惑の張本人と接待ゴルフの記事、もとより品性芳しくないこの代議士、安倍総理も嫌々ながら、派閥の圧力に抗しきれず、据えられた人事でした。
 暴力団との癒着、女性との如何わしい記事など国民の政治離れを増長する行動は党の要職に就任した今どうぞ変身して戴きたいと存じます。
 次は中川昭一政調会長、私は以前からこの人の思想、言動は怪しいと思ってまいりましたが、早々に露出してしまいました。「駄々っ子」将軍のキム・ジョンイルと対等に渡り合うつもりか、「非核三原則を前提に核の論議はすべき」と自民党静岡県連の3万円パーティの席上で強調したという。「非核三原則」は国是であれば、今更なにと脅かされるだけの発想は悲しき政調会長と嘆かざるを得ません。
 何時まで続くかこの執行部。

10月16日 閑話休題
 文豪夏目漱石が、屡々使っていた「閑話休題」(それはさて置き、と読む)、今日は何時もの硬い話から、つまらない話題を載せておきます。
 昨日は誠に良い天候の中で、私の属するライオンズクラブのゴルフコンペが開催されました。どこの大会でも仲間内では参加者を組に分け、トトカルチョをします。この時殆どの皆様は自己中心に賭けます。しかし私は素直に自分を無視、日頃の成績から無駄な投資はやめようと外したのですが、この日何故か打つボ-ルはまっすぐに飛球、パットも勝手にホールイン、ダントツ優勝となり、トトカルチョは他人の為になってしまいました。  こんな調子で選挙も出来ればと思いつつも、そうだ、応援者の手前、「ゴルフ」はそろそろ小休止の時かな?と思いつつ家路へ急ぎました。選挙は来年の4月です。

10月13日 姉妹都市について
 浜松市が米国・ロチェスター市と姉妹都市提携を結ぶと言う。対岸の課題であれば、余分な意見は無用とは思うが、敢えて申し上げたい。
 今、何故都市提携なのか、本当に必要な姉妹都市か、屡々見られる両市の要人の海外旅行の手段になってはいないのか?。
 昭和30年代、戦後の貧困から漸く抜け出す経済環境の中、政府は日本人の海外旅行を奨励する目的で姉妹都市提携を全国の自治体に推し進めた。静岡市も自治省の斡旋のもとに米国のオマハ市と提携、今日に至りますが、正直、極く一部の市民が関わるだけの機関となってしまったのである。
 昭和30年~40年台のわが国には或いは必要であったかもしれない姉妹都市提携は「ちょっと、そこまで」といいながら友人とハワイに遊ぶ国民皆渡航の今日、無用にして時代錯誤のの発想と存じますが如何。

10月11日 続北朝鮮の蛮行
 昨夜のテレビに12人の国会議員が並び、ハマコーなどいい加減なタレントを交え激論を展開する如何にも平和国家「日本」らしい番組に夜の時間を費やしました。この番組でつくづく感じた事はこのたびの北朝鮮の核実験が、長い間主張してきた野党(殊に社民、共産)の日米安保批判の虚しさを如実に示したのでした。想定外の北朝鮮の動きであれ、戦後一貫しての安保政策はここにきて国民の大きな納得を得る機会となりました。
 ついでながら社民党の福島党首はただ一人、臆面もなく党首として屡々、バラエティ番組に出てくるが、みっともないのでやめるべきです。更に、がなる言葉も些か陳腐であり、この際社民党は党首を替え党名も変更した方がいい。かつての社会党に戻したら如何?

10月10日 「病膏肓に入る」の北朝鮮遂に核実験が実施された。昔から手の施しようもない病気を諺に「病膏肓(やまい、こうこう)に入る」云う。北朝鮮の現況こそ、この表現に最も合致するだろう。「駄々っ子」が後先考えずに手当たり次第、物を投げる仕草に似ている。敢えて私に予告させて戴くならキム・ジョンイル体制はこの一年未満に瓦解するだろう、その時無知なる大衆はどうなる、どうする、そしてわが国はその非常時をどのように対処するのだろうか?

10月6日 駄々っ子北朝鮮の思惑   核実験を宣言する北朝鮮、それは将に「破れかぶれ」の醜態を天下に晒している。
 国民は食うに物無く、住むに家なき惨憺たる困窮状況ながら、キム・ジョンイルの肥満体は相変わらず、糖尿の持病を抱えて言いたい放題、にも拘らず今回は親キムの中国や韓国も愛想が尽き知らん振り。弱ったもんだ。
 バカは屡々自暴自棄となって何をしでかすか解らない、恐らく今回の狂気はこれからも続くだろう、しかし、わが国にとって最も脅威は北朝鮮の「核」ではない、確実に近づく大衆蜂起である、その時、脱北する何万人の人々に日本は如何に対処するのか、今世紀最大の政治課題となってくるだろう。

10月1日 名優・橋本三十郎さんのその後を耳にする。
 昨日、遅くなりながらも家内と散歩に出かけた。直ぐに信号待ちの高岡氏に出会う。日常の挨拶を交わすや、彼は「橋本三十郎」の現在について知らせてくれた。「彼女、今、山口大学の医学部にいる。」私達夫婦にとってそのニュースは驚きであり、吉報であった。
 10年余りになるでしょう、私は鷹匠の一角、小さな倉庫を改修した劇場に独り名も無き演劇グループの舞台を見るために出かけた。観客は30人ぐらいだったか、しかし、若者たちは真剣に見るものに感動すら与えたのでした。殊に舞台の中で屡々出てくる「婆」の役者は素人目にも秀でた演技で私はどこまでも見入っていた。プログラムでは橋本三十郎とあれば当然「男」と思ったが該当する者がいない。
舞台が終了して出口に立った時、俳優さんが客の見送りに並んでいる、そこに「あの婆」がいた。一言声をかけて退出したが、その心には明日も来ようと決めていた。翌日は家内と同伴、その帰り道、「橋本三十郎」の演技に二人の会話は終始したのでした。
 4年程前、県立総合病院の薬剤師を退職、上京、爾来全く音沙汰なく、気にしていた所へ高岡氏との出会い、彼から「素晴らしい報」を聞き喜びと感激で、今、このパソコンに向う。

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