天野進吾の一期一会| 天野進吾のコラム(過去ログ)

天野進吾のコラム

2006年7月分

7月31日 32年ぶりの静商優勝
 おめでとう、静岡商業高校。
今年の高校野球は、予想外の展開の中、往年の名門の復活に終わりました。『32年ぶり』言葉を聞いて私もまた歳月の速さを痛感したところです。
 処で、優勝決定の瞬間、私の脳裡に浮かんだ思い出をここに記しておきます。
 平成5年、天皇両陛下が静岡県に来訪された際、県庁で昼食をご一緒させて頂きました。メンバーは知事、県議長、市長、市議長、の4人が天皇、皇后両陛下を挟んでの会食でした。初めは堅苦しい雰囲気の中にありましたが、時間の経過と共に徐徐に笑顔が出、会話は弾んで、楽しい雰囲気が生まれてきました。
 暫くして、皇后陛下が突然、鈴木和彦市議長に顔をむけて尋ねたのでした。
 “不図、思い出しました。私の学生時代、静岡県の高校野球といえば「静高か、静商」と言われておりましたが、最近静商の名前をききませんが如何ですか?”
 8月下旬の事ですから、決して頓狂な質問ではありません、しかし夢想だにしないこの皇后陛下の疑問に流石の議長も目を白黒して、何と答えればいいのか戸惑っておりました。
 そこで、咄嗟に私は説明させてもらいました。
 “今年の決勝は静商と掛西でした。実は石川知事は掛西のご出身、鈴木議長は静商のOB、処がこの7月、晴れて知事に当選した知事の顔を立てて議長は敢えて掛西に花を持たせました。”・・・笑いの中で会話は一層盛り上がって参りました。

7月26日 金大中事件はKCIAの犯行と認める。
 20数年前、朴政権に反対する金大中氏が東京のホテルから拉致された所謂「金大中事件」についてこの度、韓国政府がKCIAの関与を正式に認定したと本日の夕刊に掲載されていた。
 事は「今更なに?」と思われるでしょうし、また遥か昔の韓国内のバトルとし弊履の如く捨てさるでしょう。
処が、私にとっては極めて関心あるニュースでした。それは数年前、自身の体験を基にした短編の小説「私の金大中事件」を上梓したからであり、この中で、犯人はKCIAであって、しかも「作られた殺人組織」の犯行と断定したのです。この本を読んだ知人からは大変面白いと評判を得たことを思い出します。

7月24日 ツバメの旅立ち
yanzi漸く主のいない巣を安心して眺められます。実は余りにも怪しい構造で作られた住処(すみか)だったからです。何処から運んだ粘土か解りませんが、器用に貼り付けツバメの家が完成してから既に3ヶ月以上、家内の日課として朝夕、見続けてまいりました。それは北街道沿いの私の事務所、入り口を照らすライトの笠はステンで出来た極めて不安定な台座の上に作られました。
 爾来、毎日、親ツバメは5匹の「チビ太」に休むことなく餌を運んでおりました。
 道行く人々も口を開け暫し眺めるのでした。雛には食べられなかったのか、トンボの死骸が巣の下に転がっておりました。 
 無事雛たちは、飛行訓練を終え昨日彼方に旅立ちました。

7月22日
 靖国神社問題に新たな一石を投ずることになった昭和天皇の話されたメモが「時が満ちた」と思われる一昨日突如、日本経済新聞にすっぱ抜かれたのである。 蛇足の所感・・朝日新聞でなく日経新聞でよかった。
 そしてその内容が象徴「天皇」の偽らざるお心であり、往時の正鵠を得た天皇のご判断であったことを心から喜ぶ。特に日独伊の三国同盟に関しては、陛下は極めて厳しい思いで見ていた事を知り、今更ながら嬉しく思った次第です。
 小泉総理の靖国参拝について、外国からの諌言に自説を曲げるのではなく、この「昭和天皇」のお心に免じ遠慮したら如何でしょうか。

7月18日
 過日、結婚のために渡米して10年、2人のお嬢さんと共に帰省した知り合いの歓迎パーテーに出席しました。
その際に彼女が語ったアメリカの現実を、私の経験にあわせてここに披瀝しておきます。
 5年前、訪米視察の折、最初に訪れたボストンの街で、夢想だにしなかった心筋梗塞を引き起こしたのであります。その際、私はつくづくと日本の健康保険制度の充実振りを知らされたのであります。
手術は僅か3時間足らずで終了、しかも入院期間も7日間と極めてスピーディな処置に本当に驚いた。しかし、更に愕然としたのは、その経費である。
実は、旅行保険を掛けていたお陰で実質の費用負担は大したこともなかったが、その請求は先ず、ホテルから依頼した救急車の代金が、およそ50万円、入院費1日20万~30万円、勿論、日本でも著名な病院ではありましたが、本当に打っ魂消ました。
と同様に、彼女も最近盲腸で入院、僅か1日で退院したにも拘らず、何とその請求金額は300万円、驚いて自分の保険会社にその書類を出したところ、何と三分の一に減額され、結局、10%分の10万円を支払ったそうです。毎月15万円以上の保険料を払っていながら、これがアメリカの医療制度の実体です。

7月14日
 北朝鮮問題を題材にSHINGO-SCOPEを草稿すれば、次々に各国の対応が移り代わり、そのためにそれまで書いた文章は水泡に帰すばかりであります。
 新聞のように、その日のうちに読者の手元に届けば問題はないが、SCOPEは月刊ゆえに、現在の状況がそのまま読者のご理解を得ることはできない。
 そこで、「ホームページ」ならば即刻、自身の考えを伝えることが出来るものと考え以下、浅薄な発想ながら記しておきます。
 長い間、中韓両国の北朝鮮に対する曖昧な姿勢は、結果として「盲目の国家」の我儘を増長させ、この度の「ミサイル」問題にも、その説得は「糠に釘、逆に韓国の防衛に寄与しているとも豪語する有様である。
 ところで北朝鮮の本当の目的は何処にあるのか?
恐らくこの度の「ミサイル」実験によってその技術を第3国に輸出し、喉から手が出る外貨を稼ぐ目的と、困窮する国内問題を抑える手段として、愈々金体制の最後の「もがき」が現れたと理解します。だからこそ、中韓両国は慌てているのです。
 北朝鮮が崩壊すれば少なくとも1000万の難民が両国に流れることは必至、それは両国にとってまさに「門前の狼、後門の虎」の立場となったのである、恐らく北朝鮮の独裁政治を無思慮に容認し続けたこれまでの附けが仇となって両国を恐れさせているのであります。

7月12日
 不明の点、お詫び申し上げます。
 今日の静岡新聞の3面記事のトップに静岡市が、長い期間、冷凍倉庫に対し一般倉庫として高額な課税を徴収してきた事が掲載されておりました。
 勿論、私も「冷凍倉庫」と「一般倉庫」との課税の違いについて、知る由もありませんでしたが、昭和33年の課税評価基準が分類されて以来、今日に至ったとのことでありました。ということは私の在任中も何の疑いもなく冷凍倉庫として高負担を強いてきたことになります。誠に失礼いたしました。

7月8日 
 20年前、アメリカ西海岸をロサンゼルスから北に向って走行するうちに、薄紫の花を樹木一杯につけた街路樹を見つけた。
「あの花はなんという名前ですか?」、横に座る妻が日系の案内者に声を掛けた。
残念ながら私には記憶にないが、その後、その花が話題になったとき、決まって妻は「インド・チェリー」と言い張っていた。
先月、県議会の北米視察の最後の日、ロサンゼルスに立ち寄った。我々を乗せたバスが住宅街に入った時、妻の云う「インド・チェリー」が目に入った、瞬間私は最前列に座る添乗員に声高にその街路樹の名前を尋ねた。
「ジャガランダ」です。「アフリカ原産の樹木で高さは15メートルにもなるが、6月にはこのように美しい花が咲きます。」と説明してくれた。
雰囲気と色彩は極めて日本人好みの謙虚なものでした。
帰国して、造園業を営む知人に電話したところ、なんと・・寺に「ジャガランダ」の木が有り開花時期には屡々新聞にも掲載さているという。更に知人を通じ調べたところ、丁度満開とのこと、早速訪ねて、満足して参りました。
正直、青葉通りの歩道に街路樹として花咲かせることが出来れば素晴らしい名所になると自賛しております。

7月6日
 本日の静岡新聞の片隅に、「50代の男が自殺未遂で静岡市立病院に入院したが、再び病院の5階から投身自殺した、その原因は病院側の注意義務の怠慢にあるとして、家族が病院を相手に4600万円の損害賠償を求める訴訟を静岡地裁に起こした」との記事が掲載されていた。
 この記事を読んだ私は「唖然」とした、と同時に事有れば「即訴訟」のアメリカ型社会が確実に日本に浸透してきた現われと理解した。
 しかし、この話を聞いた妻は、「自殺の恐れがあると思うなら、家族が付き添っていればいい」という。「然り」と私は納得、そして敢えてここに記す意図は、近年、被告となった行政側がしばしば、選択する手段として「和解」、即ち幾分かの金銭で問題から忌避する姿勢がみられるが、その根底には、所詮「税金」との気安さが見え隠れするのである。
 徒な妥協を避け、堂々公民の精神で対処して欲しい。

7月4日
昨日、時間をかけて草稿したにも拘らず、最後の「更新」ぼたんを何気なく押した途端、その努力は一気に水泡に帰してしまいました。名文か駄文かは解りませんが誠に悲しいことでした。
 さて、一昨日、元建設大臣・原田昇左右先生の訃報が届きました。長い間の闘病生活に遂に別れを告げるところとなりました。
 建設官僚出身の代議士は「ジェロニモ」の綽名そのものに、色黒で如何にもバイタリテー溢れる議員でありました。しかし同時に官僚の雰囲気を払拭するには時間が必要でした。
 似合わぬ笑顔をつくり、敢えて人の輪に加わり、自身の殻を破りつつ、何時しか確固たる地盤を形成してまいりました。
 「今一度大臣を」の支持者の熱い期待は突然の病魔に打ち砕かれたのであります。 
 「死生命あり」・・・限りある命であれば、人間・原田昇左右は充分に生きて参りました。心からのご冥福をお祈りいたします。

7月1日
久しくご無沙汰してまいりましたが、この度仲間のご指導とお薦めもあり、自らも「心」を入れ替えて、新たにホームページを更新することになりました。実は、これまで私の政治的な広報はSHINNGO-SCOPEという月刊紙があり、ホームページの必要性をI・Tの認識不足から軽視してまいりました。ところが、この度、前近代的な私に懇切丁寧、しかも熱心にご教授される方が現れ、結果、ホームページによる広報も意外に他愛ないことと教えられ、勇躍、ここに刷新するところとなりました。これからは思いっきり自身の主張をこのページに満載してまいりますので、どうぞご笑覧ください。

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