天野進吾の一期一会|あまのしんご静岡県議会議員公式サイト

古希を経過しても尚、意気揚々・・・

地方政治に携って50年、自らの信念に固執しながらも「大道」を歩んでおります。
昭和40年代の初め、徒手空拳の若者が情熱だけで政治の世界に挑戦したこの半世紀の歴史に、未だ「終り」はありません。年々、人口は減少し、都市としての潜在活力が失われていく時代背景の中で、数年前から提唱し続けてきた「日本平のカジノ構想」は、「大型豪華客船」まさに本市が蘇(よみがえ)る「ラストチャンス」と位置付け、中傷に戸惑うこともなく活動しております。今暫く「この老兵」も消え去ることは」できません。

天野進吾はどういう政治家なのか?

天野進吾

昭和44年の初め、たった一人でアメリカを訪問。昭和62年、45歳で静岡市長選に。誰もが「無謀な戦い」と制止する言葉を振りはらい、私は確信を以って駒を進めたのでありました。

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天野進吾の天野進吾的ココロ

進吾スコープ

天野進吾が視る。語る。今日のできごと。まつりごと。

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天野進吾のコラム(最新5件)

あー稀勢の里・・・。

 昨日、一昨日と他愛もなく敗れた「稀勢の里」が本日、遂に引退しました。
 ここ3日間の不甲斐ない敗戦はその引退に些かのまし同情は生まれません。
 初場所の前の「連合稽古」を見た親方衆の言葉入力は「期待できる」の言葉を屡々聞いたが、始まれば、予想とは全くの裏腹に、他愛無い3連敗、その無様な敗戦を見た誰もが「もう、終わり」の烙印を押したことでしょう。
 テレビに映る「稀勢の里」の姿には「闘争心」の欠片もありませんでした。
 唯一の日本人横綱を目一杯応援しきた者には、些か残念な終焉でした。

2019/01/16

今日は梅原猛さんの訃報が・・・。

 遥か以前のことですが、日本の美術界を大いに騒がせた「真贋事件」がありました。
 それは古来より「型破りな僧」で有名な「円空上人」が描いた絵が、ある寺の壁の中から偶然発見されたということでした。
 ご案内のように、僧・円空の「仏像」は夙に有名だが、円空作の「絵画」は一枚としてない、にも拘らず、長野県のある寺の壁の中から「円空」の名前が書かれた「仏像」の絵画が発見されたと大騒ぎ、日本美術界ではその真贋について2分、結局、その作品の出処を逆に辿っていけば、と云う事で調査したしたところ、第一発見者がことでした古紙に仏像の絵を描いたところ、大変上出来だったところから、これを知人に安く売り、そこをスタートに「円空」の絵画は転々と人手に渡り、最後は東京の骨董商から100万円で買った男が美術学界に持ち込み、その真贋が問題化したのでした。その道を逆に辿れば、出展が判り、一件、笑い話になりました。
 長々、駄文を書きましたが、その「円空上人」の研究家であった哲学者「梅原猛」さんが12日に逝去されました。ご案内のことかと存じますが、本県では梅原先生を顧問格にお願いしてきた関係もあり、敢えて一筆申し上げました。

2019/01/15

「名優・市原悦子さん」の死に黙祷。

 昨日来のニュースの中で、放送されていましたが、国民的女優であった「市原悦子」が12日に逝去されました。
 「まんが日本昔ばなし」のナレーターとして私の記憶の底に今でも残っております。勿論、女優としても個性溢れる演技には昔から感心しておりました。
 人間味のある演技で多くの日本人の共感を得てきた女優の一人でした。
 「その昔、この山の向こうに、大きなクマが一匹、村人を怯えさせていました・・・」そんな言葉が耳元に聞こえてきそうです。
 ・・・ご冥福をお祈り申し上げます。

2019/01/14

文在寅大統領、可笑しくないか? 

 徴用工訴訟ばかりではないが、一体何を思っての大統領の政治発言なのか、最近の「韓国の腹の裡」は理解できないし、日本人の「嫌韓」意識は愈々、たかまっていくのでした。
 一体、文大統領は何を考え、どうしたいのだろう。
 殊に「徴用工訴訟」については韓国側の歴史的経緯を正面から見ずに、自分勝手な解釈によって事件化し、様々な歴史を焙り出してきたと私は考えます。
 その一方、「反日」を煽りつつ、北との融合を図るも、その実、本心では「南北和解」など毛頭考えてはいない。
 「ドイツの東西の壁」は撤去されたものの、今なお諸問題が潜在していることを思えば、「文大統領」の「責任転嫁」と「恰好付け」だけの「政治工作」では何時まで経っても「明日の韓国」は来ないだろう。
 将に菅長官の云う様に「韓国の責任転嫁」は誠に遺憾!と云わざるを得ません。

2019/01/12

30年前の今日、私は・・・。

 思えば、30年前、些事に東奔西走しながらの「市長の正月休み」を過ごしていた私に「昭和天皇、薨御」のニュース、一瞬にして日本中が深閑とする中で、私もまた「平成の初日」を迎えておりました。
 その日、取り敢えず、8時半には市役所に登庁したものの、戸籍抄本などの事務職員は勿論、全ての業務は休業、深閑としたその時の市庁舎は今なお私の脳裡に写っております。
 戦後の日本と一緒にお歩きになった昭和天皇も今、確実に歴史の1ページとなっていくのですね。
 

2019/01/08

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