天野進吾の一期一会|あまのしんご公式サイト

お世話になりました。
この4月をもって、選挙あるいは政治とお別れです。
長い間、ありがとうございました。
これからは、一市井の人となって、ひとり呟いていきます。

天野進吾のコラム(最新5件)

驚いた「清水庁舎移転に対する市民の心」

 昨日まで住民投票の実施を求めて署名活動を展開してきましたが、その結果が今朝の静岡新聞に掲載されております。
 それによれば葵区、駿河区の合計は2万2千余とのこと、法的には清水区を加えなくても署名運動の趣旨は達成されておりますが、震源地・清水区でも既に2万の方々のご署名を頂いているという。
 住民投票に必要な有権者の50分の1の署名は既に達成していますが、清水区の場合には残余期間、凡そ1ヶ月あれば5万人のご署名も可能でしょう。
 市庁舎の移転はもとより、無駄な水族館、そして駿府城の外堀を埋めて作ろうとする訳の分からない発想での施設、恐らくこれほど市民の悲しむ市行政は珍しいのではありませんか。

2020/04/03

遂に出るか、看護師を起爆として。

 静岡市立病院の看護師を起爆として、これまで低かった本市のコロナウイルスの発生が、今、思わざる事態を招くところとなりました。
 正直言って、病気の感染源は容易に分かるものではありませんが、「落とし穴」は何処にあるかわかりません。将に「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」の諺を地で行くものでしょう。
 処で、そうした折、納得できない行政の一つに、「パチンコ店の営業」について全く論ぜられていないことです。
 大相撲は無観客、高校野球は中止、夜の飲み屋も閑古鳥、上野の桜見物もおとなしく散歩、そんな防疫体制に必死で対処する中にあって、「パチンコ店」については新聞も一切、「遠慮」は些か、納得できない処です。
 思えば、コロナウイルスについて新聞等で警鐘を鳴らし始めたころ、視聴者に「出入りを遠慮すべき場所」として、「カラオケ店」や「麻雀荘」が掲載されておりました。
 そんな折にも「パチンコ屋」は何故か「論外」でした。
 何故か国によって守られている「パチンコ業界」を ここでも見た思いです。

2020/03/31

驚いた、33年前の終戦記念式典の追悼原稿のコピーが。

 今朝、家内が本棚の片隅に積み込まれた古ぼけた書類入れから、実に33年前、即ち昭和62年の「市長自筆文書」と表書きしたコピーの束を朝ボケの私の面前に引き出した。
 それは秘書課職員が行為で綴ったもの、勿論私はその書類の存在は承知していたが、久しぶりにページを開き、驚きもし、また懐かしんだ。
 ロータリークラブやライオンズクラブの周年祝辞、消防団の機関紙への投稿文書、市政功労者への弔辞、市制100周年事業に絡む新聞各社への原稿、PTA連絡協議会等の機関誌への寄稿文、等々、62年度の分厚い「文集」でした。
 その中の一つに「昭和62年の終戦記念日の原稿のコピー」があり、今、感慨を以って読んだところです。
 実は毎年行われる市長の「戦争犠牲者への追悼文」は例年同じ文句で、ただ最後の昭和何年だけが変わっただけのもでし
 その日、担当者から「十年一日のように」同じ言葉の羅列であった市長の「追悼原稿」を見せられた時、瞬時に「原稿は私が作る」と担当職員にいい、その夜、前々から脳裏にあった「ヘミングウエー」の「誰がために鐘は鳴る」の冒頭の言葉「それ故に人を使わして、誰がためにかの弔鐘が鳴るかを尋ねる事勿れ、それは汝が為に鳴る」の名言を引用することにしたのでした。
 久しぶりに懐かしいひと時を思い出させてくれた朝でした。

2020/03/27

納得できるオリンピックの順延。

 所詮、この夏のオリンピック開催は「コロナウイルス感染症」の蔓延の前には如何ともし難いと考えておりました。
 幸い、オリンピック出場予定のアスリートたちも「順延」の決定に殆どの皆さんが理解し、病気の早期終焉を期待しています。
 大変嬉しい言葉がニュースの中で流されています。
 病気が蔓延し始めた頃、私達は「オリンピックの開催に右往左往した覚えがありましたが、決定したとたん、多くの出場予定のアスリートの言葉の中にもこれを納得するとの報道に、嬉しく思ったところです。
 しかし、この感染症の「脅威」は夢想もしなかったところでしたが、我が国の早期の対応が結局は大事にならずに今日に至ったと考えます。
 このまま、収束するようただ祈るのみです。
 処で、マンションから眼下に広がる水田には毎日、鳥や蝶が代わる代わる姿を見せます。
 今日も小型の鴨が姿を見せております。一昨日「山と渓谷社」出版の「野鳥」を購入、早速「鴨」の欄を調べ、独り、楽しんでおります。

2020/03/26

私の疑問「浅間神社の石鳥居」は何時できた?

 それは長い間の疑問でした。
 昨日、その歴史が解明され、ホットしているところです。
 あの浅間神社の石鳥居は寛永11年(1634)、手元の資料によれは、驚くなかれ、本市からかなり離れた「備前丈島」から送られた石とのことです。
 備前・岡山県からどのようにして運び込んだかは定かではありませんが、恐らく「船」に積まれて駿府に送られてきたのでしょう。
 ご案内の方も多いでしょう、安倍の井川村に伝説として残っている「テシャマンク」という力持ちの青年が初めて駿府の街に降りた時、丁度、この石鳥居の建設に遭遇、暫らく傍観していたが、やおら、私がお手伝いしましょうと名乗り、独りでその巨石を持ち上げ、「石鳥居」を完成させたと「井川」物語にあった。
 扨て、「備前の石」による鳥居は「鎌倉の八幡宮」もそうです。
 「石柱を持ち上げたというテシャマンク伝説」は勿論、真偽を質すこと不能ですが、この話、「歴史は面白い」の代表ともいえるものではありませんか。

2020/03/19

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