天野進吾の一期一会|あまのしんご静岡県議会議員公式サイト

古希を経過しても尚、意気揚々・・・

地方政治に携って50年、自らの信念に固執しながらも「大道」を歩んでおります。
昭和40年代の初め、徒手空拳の若者が情熱だけで政治の世界に挑戦したこの半世紀の歴史に、未だ「終り」はありません。年々、人口は減少し、都市としての潜在活力が失われていく時代背景の中で、数年前から提唱し続けてきた「日本平のカジノ構想」は、まさに本市が蘇(よみがえ)る「ラストチャンス」と位置付け、中傷に戸惑うこともなく活動しております。今暫く「この老兵」も消え去ることはありません。

天野進吾はどういう政治家なのか?

天野進吾

昭和44年の初め、たった一人でアメリカを訪問。昭和62年、45歳で静岡市長選に。誰もが「無謀な戦い」と制止する言葉を振りはらい、私は確信を以って駒を進めたのでありました。

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天野進吾の天野進吾的ココロ

進吾スコープ

天野進吾が視る。語る。今日のできごと。まつりごと。

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天野進吾のコラム(最新5件)

久し振りに「富士山三保子」と面談。

 昨日の朝、机の脇に置かれた「積読」に近い本棚から一冊の小冊子を引き出し、何気なくページを開いた。
 著者は「安本敏雄」さん田町か新富町にお住まいだったでしょう、私の父と同年の大正3年生まれと巻末に記載されていました。
 30年ほど前には本市の文壇で相当活躍されていた方でしょうが、残念ながらお目に掛かる機会はありませんでした。その安本さんの出版した『「懐かしの静岡」・・昭和のささやき』を何処でどう手に入れたか、全く思い出しませんが、何気なく開いた冊子の中に「答礼人形・富士山三保子」をテーマにし、そこに関わった人々の優しさと苦難、或いは答礼人形の送別会や、田町小学校での子供たちの暖かな人形への思いが鮮明に描かれ、しかも厳しい時代背景を如実に表した素晴らしい文芸作品でした。
 許されるならこのページを抜き書きして「答礼人形」に関わった人に読んで戴きたいと思っているところです。

2018/05/25

昨日のテーマ再び・・・。

 日大アメフット部の内田正人監督の記者会見ほど視聴者を馬鹿にした放映はありませんでした。
 あの試合のテレビ画面に映った日大の宮川選手の悪質行為は明らかにワンマン・内田監督の指示であったこと、明々白々と云わざるを得ません。
 関西学院としても早々に刑事事件としてその対応を図るべきでしょう。
 内田監督は「監督を辞任」、更には日大の常務理事の職務も一時停止し、謹慎するという。
 まさかこんなお粗末な処遇で誤魔化すつもりではないでしょうが、ニュースが新鮮のうちに型を付けなければ、いつもの事、「有耶無耶」になる事を心配します。
 昨日の記者会見を見ても、内田監督の人間性に落胆するとともに、記者会見の司会を担当した日大職員もお粗末の限りでしたネ。

2018/05/24

「御名御璽」、内田監督、素直に撤退を。

2018/05/23

「市立大学「」設立検討会議が開催される。

 10日ほど前に静岡新聞に掲載された「市立大学構想」に真っ向これを否定したコラムを私は掲載しましたが、何と今朝は産経新聞に「有識者による市立大設立構想」が掲載されています。
 正直云って、単に打ち上げ花火と思っていましたのでまさかこんなに早く設立検討会議がスタートするとは考えておりませんでした。
 「そんなに急いでどこに行く?」、この記事を見た多くの市民が途端に抱く共通の思いでしょう。第一その新聞記事には本市の人口推移が掲載されております、政令市として初めて70万人を割り込み、更に22年後には55万8千人まで減少と推計されており、それゆえになぜ今私立大学が・・・の声が響きます。昨年と常葉大学が草薙へに誕生しましたが5年ほど前にポーラ化粧品が移転した跡地の市の用地買収を提案した折、一言「金がない」のあの言葉は何だったのでしょう。
 多くの市民に「時が時だけに夢物語」の夢の提供でしに

2018/05/22

カンヌ映画祭で「万引き家族」が最高賞。

 久しぶりにカンヌ映画祭で最高賞を取り、何となく嬉しいニュースでした。特に昔から「樹木希林」さんには関心があり、静岡で上映されたら一番に出掛けようと思っています。
 さて、フランス・カンヌ市は25年余前になりますが、本市と姉妹都市提携を結んでおります。
 その切っ掛けは平成元年、静岡市の施政100周年記念事業にあたって「駿府博」の中で「ポーラ化粧品」にはとんでもない「美術展」にご協力を戴きました。
 そのポーラ化粧品の鈴木社長から或る日「カンヌ市が日本の都市と姉妹提携を考えているが、静岡市は如何でしょでしょう」という。
 瞬間、私は独断で「それは結構、是非ご配慮をお願いします」、それから1年後、カンヌ市は立候補した20余りの都市の中から広島・神戸・岐阜など7都市を選んで、選考のために代表団が各都市を表敬訪問すると連絡があった。
 本市より遥かにビッグで知名度もあるそれらの都市と一つを争うことになり、関係する市職員と十分な策を捻った。
 雪に覆われた2月の富士の輝きに驚きながら、カンヌ代表団は静岡市役所の表玄関に入った。 玄関入り口には「日の丸」とフランスの「三色旗」が風に揺られ、敬礼しながら代表団が一歩市役所に足を踏み入れた途端、「ラ・マルセイエーズ」が市役所庁舎に響きわたった、途端、フランス代表団は右手を胸にきわたった当てたまま、国歌演奏の終わるまで微動だにしなかったのでした。
 エレベーターで8階で降りた途端、案内人の紹介で代表は手を差しのべながら「市長です」の一言に紅潮した表情で「私たちはこの街に今、決めました。これからよろしくお願いします」とこれからその代表者は両手を差し伸べてきたのでした。
 

2018/05/21

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