天野進吾の一期一会|あまのしんご公式サイト

お世話になりました。
この4月をもって、選挙あるいは政治とお別れです。
長い間、ありがとうございました。
これからは、一市井の人となって、ひとり呟いていきます。

天野進吾のコラム(最新5件)


 弱腰の姿勢に愕然とします。
 今朝の静岡新聞を見れば、一目瞭然、静岡市政の「弱腰」姿勢に愕然とし、敢えて提言させてもらいます。
 もとより、昨年選挙に敗れた私であれば、これまでに「黙って」参りましたが、今日ここに至っても改められない「弱腰行政」に我慢ならず、敢えて、正面から意見させていただきます。
 今、静岡市では多数の新型コロナウイルス感染が確認されましたが、その発表に際し、先日来、「済生会」以外の「クラスター」の発生場所などについては一切「マル秘」のまま、店名など黙秘し、逃げているとしか思えない対応ぶり、浜松市の姿勢とは大違いと言わざるを得ません。
 更にその記事の横には「桜ケ丘病院」移転問題が掲載されておりますが、これもまた「清水区の住民目線」を基本としては如何でしょう。
 もう少し市民の声に耳を傾けて如何でしょう。

2020/11/21

昨晩「代表取締役」に就任致しました。(令和2年11月20日記)

実は、明日、某社の「代表取締役」に就任することになりました。
その昔、静岡市薬剤師会が設立した(株)静岡メディスンの総会が明日開催されますが、その席で何と、私が「代表取締役」に就任する処となりました。もとより、会社経営は全く経験のない私であれば、将に「驚き」に一言です。
 先月、長い間の私の後援者・石川達郎社長から「定例の会議に、出席してほしい」、と依頼され、当然のこと、出席すれば、そこには5人ほどの取締役が並び、云われるままに席につけば、突然、石川社長から「私は来年6月には社長を辞したい、そこで是非、天野さんにその後任を頼みたい」と驚きの言葉、その場の雰囲気から既に他の取締役は納得している様子、私にとっては思ってもみなかった提案ゆえに、躊躇していれば、会議は早々に終了、私の「代表取締役7就任」の一件は「声なきを以って了承され」会議は終了したのでした。
 処が、更に驚愕すべきは、それから10日ばかり過ぎた夜、石川社長は自宅で入浴中、心臓麻痺で「あっけなく」逝去されたのでした。
「人格・識見」はもとより本市の薬剤師会の重鎮として長い間、貢献して戴いた社長の突然の逝去は唯々、関係者にとっては「驚愕であり残念」の一言です。
 勿論、石川社長が私に課せた仕事については十二分に承知していれば、私の長い間のご後援とそのお心に報いるべく、精一杯、働かせて頂きます。

令和2年11月18日記

2020/11/20

小柴昌俊氏が逝去されました。

 昨日の午後、ノーベル物理学賞を受賞した小柴氏の訃報に接し、瞬間、私の脳裡にその日の「驚き」が浮かび上がりました。
 「おはようございます。」と名刺を片手に、独りの初老の人物が通常口でない入り口から笑顔を浮かべて「市長室」に入ってきた。
 差し出された名刺を見れば「東京大学名誉教授・小柴昌俊」、椅子に座るや「今、井川からきました」の第一声、瞬間、私は「先週、同様の言葉でホトニクスの晝馬社長がお見えでした」と答えれば、「ああ、晝馬さんね、一緒に研究しています。でも彼は上を見ていますが、私は下を」
 何か「蒟蒻問答」をしているような不思議な時間を早朝から、前週に引き続いての経験でした。
 このお二人、後に日本を代表する物理学者であることは後になって知りましたが、その変則な邂逅は今なお私の脳裡にその時の会話と共に蘇ってくるのでした。
 残念ながら晝馬先生も、そして今小柴先生両巨頭を失い我が国にとって大きな損失でしょうが、失礼ながらこの場から心からの「哀悼」を捧げます。さようなら。

2020/11/14

昨日、「静大」関係者と座談をしました。

 浜松の経済界と医科大学は「静大工学部」を分離独立させ、「医大を擁した国立浜松大学」を描いているようにも思え得る昨今です。
 静大関係者の中には昨今の動きに憂慮し、「工学部の分離は絶対阻止」と頑張り、屡々、関係者が私の処にも「意見」の伺いに来られます。
 実は昨晩、市内で「負けてたまるか」の大学関係者と懇談する機会をもちました。そこに私は昭和57年前後の「医科大学誘致」運動の顛末を詳細に書き記した「冊子」を持参、「負けるべくして、敗れた静岡市の医大誘致運動」の顛末を知っていただいたのでした。
 正直言いまして、静岡と浜松の「行政姿勢」はつくづく「市民意識」の発露と考えます。
 「浜松医大」は50年前の浜松・静岡の「行政姿勢」の反映です。
 時に、静岡市民が一致結束して大声張り上げ、自己主張する処を見たいものです。でも私には、高齢故にそのチャンスはないでしょうね。

2020/11/11

「大阪のと構想、再び否決」は正解でしょう。

 「大阪都構想、再び否決」は今朝の各紙の「見出し」でした。
 正直云って、仮に「大阪都」が誕生して果たして何の意味があるのでしょうか、大阪に何のメリットがあるでしょうか、正直言って、積年の無駄な努力といわざるをえません。
 そもそも、その昔、「大坂」と漢字表示してきたこの町が突然、「大阪」と漢字表示を変更した先人の思いを忘れたからでしょう。
 東京が日本の首都に決まる以前、大坂財界は挙げて「大坂を首都に」と激しく運動を展開してきましたが、大坂は「狭隘」ということで、慶応4年、首都は「江戸」に、即ち東京が誕生、敗れた大坂商人は、せめて「大蔵省だけでも大坂に」と運動を展開したものの、その努力は無為に帰したのでした。
 その時、嘆き悲しんだ大坂商人たちは口々に「大阪の表示に原因在り、大坂の「坂」は「土に帰る」、即ち「元の木阿弥」になるとの声から大阪の漢字表示を今の「大阪」に変更しました。
 「大阪都構想」は所詮、無理な話から誕生した物語であります。
 

2020/11/02

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