天野進吾の一期一会|あまのしんご静岡県議会議員公式サイト

古希を経過しても尚、意気揚々・・・

地方政治に携って50年、自らの信念に固執しながらも「大道」を歩んでおります。
昭和40年代の初め、徒手空拳の若者が情熱だけで政治の世界に挑戦したこの半世紀の歴史に、未だ「終り」はありません。年々、人口は減少し、都市としての潜在活力が失われていく時代背景の中で、数年前から提唱し続けてきた「日本平のカジノ構想」は、「大型豪華客船」まさに本市が蘇(よみがえ)る「ラストチャンス」と位置付け、中傷に戸惑うこともなく活動しております。今暫く「この老兵」も消え去ることは」できません。

天野進吾はどういう政治家なのか?

天野進吾

昭和44年の初め、たった一人でアメリカを訪問。昭和62年、45歳で静岡市長選に。誰もが「無謀な戦い」と制止する言葉を振りはらい、私は確信を以って駒を進めたのでありました。

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天野進吾の天野進吾的ココロ

進吾スコープ

天野進吾が視る。語る。今日のできごと。まつりごと。

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天野進吾のコラム(最新5件)

報道には「公平・公正」の記者魂を求めます。

 昨日の静岡新聞に「県議選 公認上申で条件」の見出しに続いて「市長選、現職対抗馬牽制か」とあり、同時に県議選についても論究し、しかもその記載内容は極めていい加減であり、更には世情の動きを一方的に無視した論調に、些か「地元紙」として「公器」としての姿勢を逸したものと思い、ここに一言申し上げた次第です。
 昔から報道に関わる者、常に「公正公平」を旨とすべしと教えられて来ましたが、最近の全国紙を見ても些か偏重した記事に、屡々、対峙する処です。
 本日、敢えて率直な思いを掲載しましたが「新聞は社会の公器」という基本精神だけはお忘れなく。

2018/11/17

淋しきこの時期、「喪中につき年頭…」の御挨拶状が続く。

 例えばその方のご家族が今年、他界し、それ故、年頭の挨拶を失礼するとの葉書がこの処、連日届きます。
 もとより、私自身が高齢者になったのであれば、友人もまた高齢、体のどこかに不都合があっても不思議ではありません。ですから毎日、静岡新聞の訃報欄は注意して見ているが、「家族だけで他人に迷惑を掛けたくない」の思いから、訃報欄にも掲載せず、内々で葬儀を済ますご家庭も少なからずの昨今です。
 昨日届いた「喪中の葉書」に同級だった彼も遂に逝ってしまったのか、ひと時、寂しさを禁じえず奥さんからの葉書を手にしたのでした。
 恐らく、これからは更に淋しきひと時は増える事でしょう。それが避けることの出来ない人類の掟でもありますから・・・。

2018/11/14

「やっぱり、行きたかった」園遊会

 今朝の新聞では「平成最後の園遊会」が写真入りで掲載されております。
 来年は代替わりの儀式が続くため園遊会はないとのことです。
 平成23年の「春の園遊会」に,当時、県議会議長であった故を以て「園遊会の招待状」を戴き、心の準備をしていた最中、「あの東日本大震災」があり、その年は中止となったのでした。
 「家内は何を着て行ったらいい、着物なのか、洋服か」あれこれ悩んでいた事柄はその大災害と共に雲散霧消していきました。
 当然のことながら、その後の議会議長は順次、園遊会のご招待状に浴しており、将に偶々(たまたま)の天変地異によって私の「ワンチャンス」は消えていきました。
 それでも「ヤッパリ行きたかった」が正直な家内の心「のようです。
 天皇、皇后両陛下には長い間、本当にありがとうございました。

2018/11/10

怒れ!日本政府。徴用工判決に対外発信。

 今朝の産経新聞には例の「徴用工判決」に対し、政府は国際法上からもその不当性について糾弾する処となった。
 正直云って韓国の最高裁判決の不当性は誰もが認める処、このチャンスを手抜きのまま過ごしてしまえば益々、つけあがること明らか。河野太郎外相の云う通り「国際秩序への挑戦」であり、こんなことを黙っていれば、相手方の我儘は益々、増長することになるだろう。
 しかし、率直に言って「韓国」はどうなってしまったのか、今度のような我田引水の発想といい、或いは北朝鮮、中国へのおべっか使いといい、将に骨なき外交が続くのでした。
 そのうちに豊臣秀吉の朝鮮出兵まで政治課題に取り上げてくるのでは・・・。

2018/11/09

「未来志向的日韓関係を願う」との韓国首相の言葉は?

 この度の韓国最高裁の徴用工に関わる訴訟、判決は日本人からすれば「怒髪天を衝く」の思いであります。
 しかし、理解できないのは韓国の政治家の腹の内。一言で云えば日本人の誰もがそれは「たかりの構造」と卑下する発想を恥ずかし気もなく、今なお「大言壮語」する韓国政治に私は驚く。
 敢えて申し上げるなら戦時といえど、日本政府も日本人も韓国人に対し彼らが云うような「侮蔑的」行動はとらなかったと考え」ます。少なくても婦女子に対しては、韓国兵がベトナム戦争の最中で、現地の婦女子に取った容赦ない〝行為”などとは比較にはならなかったであろうと私は信じます。
 今朝の産経新聞では韓国の李洛淵首相のコメントが掲載されております。即ち「日本政府の指導者らの過激な発言を深く憂慮する、それは妥当でもなく、賢明でもない」の言葉に殆どの日本人は頷くことはないだろう。
 いつものことながら、韓国政府の「遠吠え」に似た自己弁護には正直、辟易(へきえき)とする処であります。 

2018/11/08

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