天野進吾の一期一会|あまのしんご静岡県議会議員公式サイト

古希を経過しても尚、意気揚々・・・

地方政治に携って50年、自らの信念に固執しながらも「大道」を歩んでおります。
昭和40年代の初め、徒手空拳の若者が情熱だけで政治の世界に挑戦したこの半世紀の歴史に、未だ「終り」はありません。年々、人口は減少し、都市としての潜在活力が失われていく時代背景の中で、数年前から提唱し続けてきた「日本平のカジノ構想」は、まさに本市が蘇(よみがえ)る「ラストチャンス」と位置付け、中傷に戸惑うこともなく活動しております。今暫く「この老兵」も消え去ることはありません。

天野進吾はどういう政治家なのか?

天野進吾

昭和44年の初め、たった一人でアメリカを訪問。昭和62年、45歳で静岡市長選に。誰もが「無謀な戦い」と制止する言葉を振りはらい、私は確信を以って駒を進めたのでありました。

詳細は天野進吾という男のページへ

天野進吾の天野進吾的ココロ

進吾スコープ

天野進吾が視る。語る。今日のできごと。まつりごと。

詳細は進吾スコープのページへ

天野進吾のコラム(最新5件)

何を考えているのか、石破茂元幹事長。

 安倍総理の現行9条を維持したまま、自衛隊を明記する憲法改正案に対し石破氏は「緊急性があると云えない」と述べ、「総裁選」で憲法改正の在り方を争点にするつもりのようです。
 3月の党大会では自衛隊を明記することを含む「改憲4項目」が既に了承されているにも拘らず「今の案はたたき台だ」主張、残念ながらこの主張も「総裁選の負け犬」の遠吠に見えるのであります。
 恐縮ながら正直云えば石破氏の人相や喋りの口調からも「総理を伺う政治家」にはとても思えないのであります。
 友党「公明党」も言葉では「静かに見守る」とありますが、ばかばかしくてこんな党内闘争に意見を言うこと辞退しての言葉でしょう。

2018/08/20

甘くなかった415㌔の走破。

 応援団としては、昨日も早朝から「安倍奥まで選手の出迎え」に車を走らせ、また街路での応援風景を各所で見てきました。
 当然のことながら、望月君の健闘ぶりを一目見ようと沿道では沢山の方々がポスターや「陣」を張って彼の通過を首を長くして待っていました。
 ところが、この戦いに彼は目一杯の荷物を背負って挑戦したその目論見はその大きな誤算、想定以上の負担となって響いたのでした。
 勿論、静岡市民の5連覇への期待はスタート直後から背負った過重な荷物が足腰に禍したとのこでした。その結果、第6位でのゴールとなってしまいました。
 勿論、超人的体力と精神力の持ち主の望月君ではありますが、ちょっと無理な試みではありました。しかし、本当にありがとう。これからのご健勝を祈ります。

2018/08/19

楽ではないトランスジャパン・アルプスレースの応援。

 何といっても415㌔㍍のマラソンであれば、しかも北アルプス、中央アルプス、南アルプスと3000㍍の連峰越えの「日本横断マラソン」ではゴールの大浜海岸で迎える私達も競技の経過によってその対応を変えざるを得ません。
 実は今日、私が所属する駿府ライオンズでは全員、大浜海岸に集合し、選手をお迎えする手筈でしたが、状況から、1位の方も明日のゴールになるだろうと推測、急遽、「全員集合」は明日に変更しました。
 さて、出場選手30名の精鋭の中にあって本市の望月君は今回は途中で食事することの無いようにと前年の荷物7㌔から10㌔増のリックを背負って、参加しております。
 勿論、5連覇を期待している私達ですが、只今は5位ぐらいを走っているでしょう。
 明日、何位でゴールするのか「見当」は付きませんが、みんなで応援してください。
 大浜海岸でお待ちいたします。

2018/08/17

幼児発見の頓狂なオヤジさん。

 山口県の2歳児が行方不明になり、警察などの必死の捜査にも拘らず、3日が過ぎた処へ、独り大分から「捜索」を目的に自費参画した78才のお年寄りがいた。
 爺さんは名前を呼びながら探していた処、「僕、ここ」の返事に、ひと息したところで飴を渡した処、かみ砕くように食べた、という。
 警察や消防団の皆さんの全面的捜査も空振りの中、『独り子供は「山を登る」』の信念で捜査開始したこのボランティア爺さんに拍手。

2018/08/16

今日は73回目の終戦記念の日です。

 昭和17年2月2日生まれの私は将に太平洋戦争と深い関りを以て生まれました。
 何といっても「産めよ増やせよ」の時代背景、誕生して1週間目にシンガポールは陥落、「万歳、バンザイ」の勝鬨(かちどき)騒ぎ、その余波は誕生したばかりの私達にも影響、早速、静岡新聞社取材班が取材し、翌日の「3面記事」に写真入りで、大きく掲載されたのでした。
 その見出しは「大きな双子の赤ちゃん」、時代は生まれた子が男なら「鉄砲玉」と決めつけていたのか、兄が「吾、征服セリ」そして私は「吾、戦争に進む」即ち「征吾と進吾」、更に二人合わせれば優に7キログラムを超す“でかい赤ちゃん”の誕生は将に「国策」に適う二人でした。
 近年、不幸にして兄は健康を害し、車椅子の利用者となってしまいましたが、長い間、この双子は存分に相見互いで生きてきました。
 それではこれから服装を整えて、市民会館に出掛けます。

2018/08/15

天野進吾のコラムをもっと読む