天野進吾の一期一会|あまのしんご静岡県議会議員公式サイト

古希を経過しても尚、意気揚々・・・

地方政治に携って50年、自らの信念に固執しながらも「大道」を歩んでおります。
昭和40年代の初め、徒手空拳の若者が情熱だけで政治の世界に挑戦したこの半世紀の歴史に、未だ「終り」はありません。年々、人口は減少し、都市としての潜在活力が失われていく時代背景の中で、数年前から提唱し続けてきた「日本平のカジノ構想」は、まさに本市が蘇(よみがえ)る「ラストチャンス」と位置付け、中傷に戸惑うこともなく活動しております。今暫く「この老兵」も消え去ることはありません。

天野進吾はどういう政治家なのか?

天野進吾

昭和44年の初め、たった一人でアメリカを訪問。昭和62年、45歳で静岡市長選に。誰もが「無謀な戦い」と制止する言葉を振りはらい、私は確信を以って駒を進めたのでありました。

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天野進吾の天野進吾的ココロ

進吾スコープ

天野進吾が視る。語る。今日のできごと。まつりごと。

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天野進吾のコラム(最新5件)

5時前の「演芸」に落語「金色夜叉」を放送。

 土、日の早朝、NHKテレビで「演芸」と称し、落語、漫才などを趣味人に贈っている。
 今朝、何気なく目覚めて、テレビのスイッチを押せば、「落語家の名前」は夢の中でしたが、題目は「金色夜叉」、処で最近では「金色夜叉」と云っても「それ何」と云われる時代ですから「演芸の世界」もご苦労なことです。
 そんなことを思いつつ落語を聞いていればその昔、以前の私のスピーチの材料に「金色夜叉」の話があったことを思い出しました。
 例えば、主人公・間寛一の名前は人間の狭間に一貫して生きた男と云う意味であり、宮が嫁いだ相手は富山唯継(ただつぐ)、彼も「富の山」をただ継いだ男の意味です。
 宮にフラれた寛一は頭にきて、学問を捨て、富山と同業の高利貸しになって、積年の恨みを遂げる。一方、その後、富山は倒産、そんな折、寛一のもとに駆け込んで援助を求めた富に冷たく・・・・。
 処が作者の幸田露伴は執筆の途中で逝去したため「金色夜叉」は未完のまま幕となったのでした。以上…余談でした。

2018/02/25

久しぶりに「カジノ」が登場しました。

 このコラムに幾たび記載したか判らない程、長い間に亘って「カジノ」関連の私の主張を記載してきましたが、最近は、意識して取り上げなかったわけではありませんでしたが、ご無沙汰のテーマとなっておりました。処が今日の静岡新聞の社説欄に「カジノ入場制限案」の見出しで「依存症対策の効果疑問」の副題で論説されておりました。
 新聞では「IR」実施法案の提出を目指す政府は云々・・・とありますが、実際には自民党はもとより、各党でも「IR」の実施に向けた検討プロジェクトチームが展開されている処です。
 新聞論調では全く畑違いのギャンブル依存症の数値を以て、「カジノ」開設に反対しておりますが、社会正義を自負するなら、大都会(東京・大阪・横浜・名古屋など)に今夜も「賭(とば)」が開いている事実、しかも3桁を数える程の事実を何故、報道しないのでしょうか。
 私達、静岡でも以前、暴力団が市内のビルの一画で開帳、「億」の金を餌食にされた会社経営者がおりました。
 公認されたカジノでもおバカさんの面倒は見られませんが、海外からのお客さんがその夜を楽しむ場所として、そろそろ認可しては如何でしょう。

 

2018/02/24

予想外の人気、富士山世界遺産センター。

 建設に至るまで、率直に言って県当局は建設費の多寡、追加予算など頭の痛い「世界遺産センター」でした。
 2カ月前、議会への招待もあり、センターの開館式典に及んで、私は素直に驚きました。
 富士山麓に育ったという「檜(ひのき)」を格子状に組み合わせたその外観と、正面の水盤に映る景観など訪れた全ての人々に「驚きと安らぎ」をもたらすものでした。
 一方、この「遺産センター」の館長に遠山敦子氏のご就任はこのセンターに更に花を添える人事で、よくぞお引き受け下さったと門外漢ながら感謝する処です。
 本会議終了後に今一度訪ねてみようと考えております。皆さんも是非お出かけください、美しい「富士山」が呼んでくれているうちに。

2018/02/23

昨日の続きですが、お堀に舟も考えものでしょう。

 昨日のコラムでは、静岡市が本年度予算化する「お堀にデッキ」について、クレームを記載しましたが、その新聞記事の中に記載された「中堀での遊覧運航事業費」1200万円についても疑問ですので私の考えを申し上げます。
 昨年来、時にお堀の遊覧として使用してきたあの木造船を駿府城堀に浮かべ、有料で乗船を楽しむ趣向と思いますが、その船はその昔、田んぼなどで道具の運搬などに使用した「田船」であって、人を運ぶ道具ではありません。
 勿論、だから悪いとは言いませんが、若し、お堀で舟を楽しみたければ他に手段もあるでしょう。例えばイタリアのゴンドラを引き入れて、カンツォーネを唄いながら観光客に愛想を振りまいてはどうでしょう、訪問者には驚きと笑顔のパホーマンスになると考えます。突飛なと云われるでしょうが、静岡まつりや大道芸の期間中、お堀を訪ねる観光客に驚かれ、喜ばれるのではないでしょうか。

2018/02/18

え!まさかでしょう、「お堀の上にデッキの設置」

 市の施策にクレームは付けたくないが、昨日の新聞記事「駿府城堀にデッキ設置」の記事には正直、唖然としました。
 21年度開館予定の歴史文化施設を旧青葉小学校跡地に建設する予定で、その前に「にぎわい空間創出事業エリア」としてペガサートから城代橋までの凡そ100メートルの道路を拡幅するために「お堀」の中にデッキを建設するという。
 正直云って、些か寂しい発想です。今、静岡市は駿府城に目一杯の心を注ぎ、予算も注入している最中、その城下を構成する堀の一画であれ、その一角に「デッキ」を創るとは考えられない発想です。
 恐らく、徳川家康もこの発想には驚くことでしょう。
 なお、2015年9月、週末の3日間、社会実験としてオープンカフェとマルシェを開いたところ、1万余の人が利用し、実験中は平常時より2・5倍の人通りがあったという。
 その数字からこの度の「事業」が誕生するとは些か理解できない処です。あの裏通りを利用する人々は限られた人々、しかし市が音頭を取って「マルシェ」を開催すれば人々は集まってくるでしょう。発想が「ちんけ」と云わざるを得ません。
 いずれにせよ、私は城豪を狭隘にすることには反対です。
 

2018/02/17

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